文政権時代は、中国の「魔術」に掛かったように万事、北京の顔色を伺っていた。だが、ユン政権は中国との距離を置きながら日米の推進するインド太平洋重視の外交路線へ切り変えつつある。
韓国左派はロシアのウクライナ侵攻以来、少しずつ世界情勢の急変に気づき始めたようである。しだいに、中国重視という主張が弱まりつつあるのだ。こうした状況変化を受けて、韓国外交は本来あるべき外交路線へ戻りつつある。
『日本経済新聞 電子版』(12月5日付)は、「韓国の外交、『インド太平洋』重視に転換 中国と距離」と題する記事を掲載した。
韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権が、東南アジア諸国連合(ASEAN)との関係を強めている。自由や人権が基調の「インド太平洋戦略」で日本や米国と歩調を合わせ、経済協力の相手をインド太平洋の全域に広げる。中国とは距離を置く。日米への接近に慎重で中国や北朝鮮に配慮した文在寅(ムン・ジェイン)前政権との違いを鮮明にする。
(1)「尹大統領は5日、初めて国賓として迎えたベトナムのフック国家主席とソウルの大統領府で会談した。韓国側によると、防衛産業やレアアース開発で連携を広げる方針を確認。包括的戦略パートナーシップをうたう共同宣言には、中国がほぼ全域の「管轄権」を主張する南シナ海の軍事化や現状変更に反対する考えを盛り込んだ。尹氏は会談後の記者会見で「ベトナムは韓国の『インド太平洋戦略』と『韓・ASEAN連帯構想』の核心的な協力国だ」と語った」
各国は、米中デカップリングの影響を受けて、幅広く工場立地の再検討を進めている。台湾有事の際は、否応なく大きな余波を受けるからだ。韓国も、こういう視点から中国の顔色を伺っている余裕はなくなっている。韓国自身の国益に関わる問題であるからだ。
(2)「ベトナムはASEANのなかで、韓国との経済的なつながりが最も深い。2009年にサムスン電子が携帯電話の組み立て工場をベトナムに建てた。スマートフォンに搭載する半導体などの輸出が増え、進出する韓国企業の裾野が広がった。尹政権は11月の国際会議で、半年かけて練り上げた対ASEAN戦略を打ち出した。外交の軸に据える「インド太平洋戦略」は、日米が掲げる「自由で開かれたインド太平洋」の考え方と同じだ。尹氏はカンボジアの首都プノンペンで開いた東アジア首脳会議で「韓国は普遍的価値を守るインド太平洋(の構築)を目指す。自由や人権が尊重されなければならず、力による現状変更は認められない」と述べた。海洋進出を強める中国を念頭に置いており、その後の日韓首脳会談でも岸田文雄首相と連携を確認した」
ベトナムは、中越戦争で中国の短期間の侵略を受けた苦い経験で、根強い「反中意識」を持っている。これが、西側諸国へと接近させている理由だ。国を挙げて「改革開放」路線を歩んでおり、インドとともにベトナムが、脱中国の受け皿になっている。韓国が、遅いとは言えインド太平洋へ外交基軸を広げることは当然なことである。
(3)「日米韓で足並みをそろえるASEANでの立ち位置を明確にする一方、中国とは一定の距離を保つ構えだ。尹氏はバリ島で会談した中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席に「韓中関係を相互尊重と共同利益に基づいて発展させる」との考えを伝えた。尹政権のアプローチは、文前政権と異なる。文前政権は「新南方政策」と名づけたASEAN諸国との経済連携を掲げたが、外交的な立ち位置は曖昧だった。経済面で依存する中国を刺激するような言動は控えた」
文政権の外交姿勢は、「ヌエ」的なものであった。「曖昧路線」が、国益に適うという考え方である。文政権の民族主義思想とも重なり合い、中国へは親愛の情を込めて接していた。これが、皮肉にも中国から軽んじられる理由になった。外交とは、難しいものだ。
(4)「尹政権はASEANとの経済協力を巡り、「韓・ASEAN連帯構想」を掲げる。ベトナムやシンガポールに集中する韓国の投資をASEAN全域に広げ、電気自動車(EV)向けのリチウムやニッケルなど鉱物資源のサプライチェーン(供給網)を整備する考えだ。ASEANで韓国の存在感は高まっている。韓国の投資額は10年前の2倍に増え、K-POPなど「韓国カルチャー」の人気が韓国製品の市場を広げる追い風となっている」
ユン政権は、はっきりと「インド太平洋」へ外交の舵を切っている。中国経済の後退を計算に入れれば、今が転換する最後のチャンスであろう。
(5)「尹氏は11月、ASEANの首脳と個別に会談した。カンボジアのフン・セン首相とは、インフラ整備などにあてる経済協力基金の支援限度を15億ドル(約2000億円)に倍増する方針でまとまった。フィリピンのマルコス大統領とは同国への原子力発電施設の輸出を巡って協議した」
韓国は、カンボジアにも外交の焦点を合わせている。フィリピンへも手を伸ばし始めた。文政権時代には見られなかった展開である。