棚上げの改革開放政策
洋務運動失敗の前例も
米国のカウボーイ精神
最近、生物学者の福岡伸一氏による興味深い話が、NHK総合で放送された。テーマは、生命の「動的平衡論」である。生物学に無縁である私を引き付けたのは、人間の生命が38億年も続いてきた裏に、細胞の「創造的破壊」があるという指摘であった。
これは、社会組織にも通用する話だ。中国の習近平氏は、改革開放政策を忌避して、習近平思想なるものを信奉せよと命じたが、社会の「生命」を縮める危険な信号である。習氏は、バラエティに富む思想(栄養価のあるエネルギー)を禁止して、単一の習近平思想(不味い食事)で社会を動かすと言うのに等しい暴論だ。「動的平衡論」と真逆の話である。
生命体は、多彩な食べ物を摂取することで細胞が活発に入れ替わりながら、全体として恒常性(バランス)を保つシステムという。福岡氏の強調する「動的平衡論」は、生命体が十分な栄養を摂取して、円滑に細胞を入れ替ることで「生きている」状態(平衡)を維持できるとしている。社会も同じ理屈であろう。多彩な思想を受入れて行くことによって、「動的平衡」が維持可能になる。そういう社会だけが、生成発展し続けられるはずだ。習氏は、逆パターンを選んで国民へ強制しているのである。
棚上げの改革開放政策
習氏は、国会に相当する全国人民代表大会(全人代)の立法手続きを定める「立法法」を改正する。具体的には、「改革開放を堅持する」との記述を削除し、習近平氏の政治思想を順守するように明記するというのだ。これは、経済関連法案の優先度が後退する可能性を示唆するもので、中国経済の成長発展にとって見逃せない重大問題である。
現在、「立法は憲法の基本原則にのっとり、経済建設を中心とする」との文言がある。習氏はこれを削除し、代わりに習氏の政治思想を指す「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」を導きとし、「中国の特色ある社会主義の法治体系を建設する」と書き換えるというのである。この書き換えは、鄧小平が目指した中国経済近代化を意味する「改革開放政策」と取り止めて、習近平思想に従う社会主義法治体系を建設する、としている。
ここで、一つの歴史的寓話を申し上げたい。秦の始皇帝は、中国を初めて統一国家にまとめ上げた人物であるが、絶えず謀反の起こることを警戒した。そのため、農本主義を採用して、商工業を弾圧する「士農工商」制度を取り入れた。
農業を最も重視したのは、農業が年に一度の収穫であることから過剰な富を蓄積できない点を重視したもの。商工業は、いかようにも富を蓄積して謀反を起す危険性があるとした。こうした政治的安定維持が、中国の歴代政権の統治目的となった。
中国が19世紀末、欧米列強の植民地にされた背景には、中国に産業革命の萌芽が存在しなかったことが上げられる。農本主義の墨守と、商工業弾圧の後遺症と言えよう。習氏は、こういう歴史的経緯を忘れて、改革開放政策を棚上げして、政治的安定策に閉じ籠もろうとしている。中国政治の「先祖返り」である。習氏が、自らの政権基盤を固める目的と考えられる。
改革開放政策の棚上げは、中国に前例がある。それは、1860年代から90年代にかけて行なった「洋務運動」の破綻だ。洋務運動とは、清朝が英国にアヘン戦争で敗れた教訓から、国力増強を目指しヨーロッパの科学技術導入を進めた政策だ。日本も、少し遅れて門戸を開放した。西洋の思想・文化・芸術・技術などあらゆるものを導入して、富国強兵・殖産興業を推進し、中国と異なり成功させた。
中国の洋務運動は、中華思想(中国は世界一という認識)が邪魔をして、「中体西用」という中途半端なものに終り失敗した。中体西用とは、儒学に基づく制度や伝統を守りつつ、西洋の科学や技術を採用するというものだ。中華帝国は、歴史的には世界最古の存在である。ローマ帝国のモデルにされたと指摘されている。それだけに、官僚システムが鉄壁であった。
中国はこういう誇りから、中国の伝統精神を守り(中体)、西洋の技術だけ取り入れる(西用)ことになった。だが、制度が昔のままで新たな技術を取り入れても、「木に竹を接ぐ」に等しかった。日本の場合、行き過ぎたほどに伝統を捨て西洋の制度・技術を取り入れた。これが、日本を変えたのである。軍事大国として、世界五大国へ進んで背景である。
洋務運動失敗の前例も
習氏は、改革開放政策の棚上げを明確にしている。これは、中国が二度目の「洋務運動」失敗ケースに該当するのだ。習氏は頻りと「中国式社会主義現代化強国」という言葉を並べている。初めて聞く者には何を言っているのか分からないが、中華思想への強い拘りがある。つまり、習氏は、中華思想に基づき中国の社会主義(大同社会=老子の描く桃源境)を実現して、世界の強国(覇権国家)になるという構想である。
19世紀の洋務運動を失敗させた「中体西用」にも、中華思想が大きな壁になった。これが、西洋思想や制度の受入れを拒んだのである。習氏が現在、改革開放政策を拒否したのは、洋務運動失敗と同じ背景を持っていることに改めて留意したい。
習氏は、140年前の洋務運動失敗を教訓にせず、改革開放政策を棚上げするのであろう。合理性のない解せない決断である。中国は、2001年末のWTO(世界貿易機関)加入によって、西側諸国と貿易関係で深いつながりを持つことになった。その中国が、敢えて改革開放政策を棚上げしてまで、習近平思想を徹底化させる目的は何か。ぜひとも、それを突き止めなければならない。(つづく)
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