左派の一般的なイメージは、リベラリズムである。韓国左派は、こういうリベラリズムと似ても似つかない民族主義崇拝である。韓国を良く理解できない理由は、左派が進歩派を装って民族主義発言をしていることだ。むしろ、韓国保守派のほうが、リベラリズムを良く理解しているのである。
韓国左派の根本は、民族主義である。それゆえに、「親中朝・反日米」を鮮明にしている。文在寅政権は、まさに民族主義が濃厚であった。中朝に対しては、親戚のような親愛感を持って臨み、日米については親の敵討ちのような尖った意識を持ち続けていたのだ。この根本には、朱子学が存在する。
『朝鮮日報』(10月2日付)は、「朱子が死んでこそ韓国が生きる」と題する記事を掲載した。筆者は、同紙の朴正薫(パク・チョンフン)論説委員である。
儒教は現実を基盤とする実践的学問だった。「修身斉家治国平天下」と表現されるように、実際に世の中で活用するための自己啓発論にして処世術、政治倫理に近いものだった。孔子・孟子は、食べていくための実用の価値を重視した。孔子は「まず民を豊かにせよ」と説き、孟子は「物があってこそ心が生まれる」(無恒産無恒心)とした。
(1)「そんな儒教が観念論へと流れていったのは、12世紀に朱子が集大成した朱子学のせいだ。禅宗や道教の影響を受けた朱子が、宇宙論・人間本性論にこだわる中で、実践の倫理だった儒教を形而上学的哲学体系へと変えてしまった。中国で性理学は儒教の一分派にすぎず、16世紀以降は陽明学に押されて退潮した。ところが朝鮮王朝に伝わっていく中で、全ての異説を抹殺する圧倒的な支配イデオロギーとなった」
朝鮮李朝は、儒教の一派である朱子学を国教とした。朱子学の純化によって、他の思想への寛容性を失わせ、それが朝鮮の近代化を阻む一要因となったとの見方もあるほどだ。道徳を積むことによる精神勝利を重視した。経済的な活動には興味を示さないという特質を持っていた。朝鮮をもって、中華秩序に自らを従属させるにとどまらず、「小中華」を自任するほどになった。朱子学の原理主義は、朝鮮王朝を亡国へと導いたと指摘される理由だ。
要するに、文在寅政権の「親中朝・反日米」は、韓国をして「小中華」意識にさせていたことは明らかにしている。その思想的なバックボーンが、朱子学にあることを明らかにしている。韓国左派が、民族主義であることは間違いない。リベラリズムではないのだ。ここを間違えないでほしい。
(2)「アジア通貨危機の後、韓国社会は儒教的弊害から脱皮するための、多くの変化を経験した。各分野で開放化・民主化が進展し、家父長的抑圧、情実・縁故重視の弊習は明らかに減った。世界に通用するクリエーティブな人材が続々と登場し、各企業はイノベーションの力で躍進している。『イカゲーム』やBTSに象徴されるKカルチャーの成功は、韓国を儒教的画一性の国とは規定し得ないことを立証してくれた」
韓国で、新しいことを始めている人たちは、儒教的弊害=純化した朱子学からの脱皮を目指したグループである。韓国では、これを保守派と呼んでいるがそうではない。私は、韓国保守派こそリベラリズムの集団と呼んでいる。このパラグラフでは、それを裏づけているようだ。
(3)「依然として中国中心の事大的世界観から抜け出せない、朱子の子孫たちがいる。中国の前では限りなく小さくなる親中・左派集団がそれだ。中国を「高い山の峰」、韓国を「小さな国」と称し、中華秩序の復元を意味する「中国の夢」に賛同するとしていた韓国前大統領がいた。「韓国は中国の属国だった」という習近平の発言にも沈黙し、現実ではなくイデオロギーの城に閉じ込められている自閉的政治勢力が、今の韓国国会を支配している。そうやって中国をあがめ慕う集団が、日本の話が出さえすると「土着倭寇(わこう)」うんぬんと言って見下し、敵意を隠さない。朝鮮王朝の士林の「小中華」意識と異なるところがない。中国でも死して久しい朱子が、韓国の左派陣営では生き生きとしているのだから、あきれてしまう」
このパラグラフは、文政権の「親中朝・反日米」を指している。下線分のように日本への猛烈な敵意と軽蔑は、韓国朱子学が生んだ副産物である。韓国朱子学は、朝鮮時代の両班(ヤンバン)という特権階級が担い手であった。その子孫が現在、「反日」の担い手になっているであろう。
日本が朝鮮統治をしなければ、両班は生き延び特権階級としての利益を享受できた筈だ。それを追放した日本への憾み辛みは、子々孫々に渡り語り継がれているであろう。「反日」は、こういう経緯を考えれば、簡単に収まるはずがない。日韓友好は、韓国朱子学が生き続ける限り実現しないであろう。