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21世紀の世界的な高齢社会を迎え、全自動運転車は最大のヒット商品になると見られてきた。だが、相次ぐ公道実験中の事故でAI(人工知能)がどれだけ発展しようとも、現状では咄嗟の判断が可能な人間には及ばない。こういう理由も重なって、人間の判断を必要としない全自動運転車の実現は、「数十年先」というニュースが出てきた。

 

自動運転には5段階がある。

レベル5:全ての運転を自動化

レベル4:一定の環境や条件の下での完全な自動運転

レベル3:システムが運転し、人はシステムの要求に応じて関わる

レベル2:ハンドルとアクセルなどは自動化するが、人は関わり続ける

レベル1:ハンドルやアクセルなどを自動化し、人の運転をときどき助ける

 

現在の法規制では、レベル1~2が可能である。それ以上の段階では法制度的に不可能とされている。ここでいう「数十年先」とは、レベル5の最終段階である。とすれば、レベル1~2までは実現可能ということだ。これまでの公道実験中の事故はレベル4~5という難易度の最も高いものであろう。

 

『ウォール・ストリート・ジャーナル』(9月15日付)は、「自動運転車の熱狂から冷めた各社、戦略を調整中」と題する記事を掲載した。

 

(1)「今や自動運転が実現された未来がすぐそこに迫っていることを示す新たな道標を目にしない日はほとんどない。だが恐らくそれはないだろう。完全自動運転車が実現するまでには数十年はかかりそうだ(このメルセデス車のような自動車でさえも、実際の青写真というよりは未来を思い描いたスケッチにすぎない)。また、完全自動運転車が近いうちに実現されるという前提に基づいて将来を占ってきた企業の多くが、こうした現実に沿って既に戦略を調整し始めている。

 

完全自動運転車(レベル5)の実現は、数十年先であろうと言っている。このところ、電気自動車(EV)と、全自動運転車の話題が豊富だっただけに、「水を差された」感じは否めない。何よりも、開発エンジニアが公道実験中事故で死者が出ていることに大きなショックを受けているという。自分たちの研究が「人を殺めた」という自責の念が強く、研究の場から立ち去る人も出ていると言う。

 

(2)「例えば、ウーバーは最近、自動運転トラックの開発プロジェクトを打ち切ったほか、同社の自動運転車が死亡事故を起こしたことを受け路上走行試験を中止した。ウーバーの最高経営責任者(CEO)は、自動運転の最大のライバルであるアルファベット子会社ウェイモと手を組むことさえやぶさかでないと発表した。一方で、ウェイモのジョン・クラフチックCEOは、自動運転車の普及までには『想定よりも長い期間』がかかるだろうとの見方を示した」

 

ウーバーは、2017年にも前走車と衝突して横転する重大事故を起こしている。また、今年の3月にアリゾナで人身事故を起こしている。この2件の重大事故から分ることは、「いざという緊急時に、自動運転からドライバーがハンドルを取り戻して事故を回避することがいかに難しいかが分ったことだ」という。こういう事態に対して、余裕を持って回避できない限り、公道実験の継続自体が困難であろう。

 

(2)「自動運転技術業界がにわかに幻想から目覚め始めた理由はいろいろあるが、主な原因はテクノロジーにある。どうすればコンピューターのドライバーにあらゆる条件下で人間と同じか、それ以上にうまく運転させられるかが、いまだに分からないのだ。メンタルモデルを構築する人間の能力は、現在の人工知能(AI)が学習できるものではないことが明らかになっている。また、たとえ完全自動運転テクノロジーを手に入れることができたとしても、予測不可能な行動を取る自動車や自転車、スクーターに乗った人や歩行者に対処しなければならない。路上に自動運転車が増えれば増えるほど、安全性への懸念や法律上・規制上の問題が差し迫ってくる」

 

AIへの過大な期待から目が覚めたとも言える。最近は、将棋に始まってAIの凄さが喧伝されてきた。定型化された現象については威力を発揮するとしても、交通という事象が千変万化する事態には、人間による経験の集積が断然、優れていることを証明している話だ。何か、大袈裟にいえば「人間復権」という感じもしなくはない。全自動運転車実現が遅れて残念という思いと、「やっぱり人間の方が上か」という思いもして複雑である。