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中国は2012年、日本が尖閣諸島を国有化した後、聞くに耐えない悪口雑言を浴びせてきた。今は、それをすっかり忘れた顔をして、「日中友好の新段階」と言っている。もし日本が、「一帯一路」に参加しなかったらこの世紀の大事業はどうなったのか。立ち枯れは確実であったであろう。間一髪で日本の援助で救われた。詳細は、10月末に安倍首相が訪中した際に発表されるはずだ。中国は、この恩義を忘れてはならない。

 

『日本経済新聞』(9月26日付)は、「日中、第三国協力へ初会合」と題する記事を掲載した。

 

タイトルにある「第三国協力」とは、聞き慣れない言葉だ。「一帯一路」のイメージが、中国の「債務漬け」と同意語になってしまった関係で、あえて忌避したようだ。世界中で、「一帯一路」の持つ中国の「新植民地主義」イメージが定着している結果だ。

 

日本が、あえて「火中の栗を拾う」必要もないわけで、「一帯一路」とは一線を引いて、日本の清新なイメージで「一帯一路」の再構築に取り組む。中国にとっては、これ以上はないありがたい話なのだ。

 

(6)「日中両政府は9月25日、北京で第三国での経済協力を推進する官民合同委員会の初会合を開いた。10月下旬に予定する安倍晋三首相の訪中時に具体的な協力プロジェクトを打ち出すための準備の一環。日本側は中国の経済支援に対す『新植民地主義』批判を踏まえ、相手国の財政健全性への配慮や透明性の確保など4条件を念押しした」

 

後のパラグラフに出てくる4条件は、これまでの「一帯一路」にはない明確な融資基準である。返済能力やプロジェクトの採算性という基本が重視されている。

 

(7)「中国には習近平(シー・ジンピン)国家主席が主導する広域経済圏構想『一帯一路』に関わるインフラ整備で日本と協力したい思惑がある。一方で、国際社会には『一帯一路』は中国の勢力拡大の手段との警戒がある。特に相手国に過剰債務を負わせ、影響力を強める手法には批判が多い。このため日本側は『一帯一路』には言及せず、『第三国での協力』との表現を使用」

 

「一帯一路」には悪いイメージが付いてしまった。これから離れるために、「第三国での協力」という言葉を使うことになった。中国にとっては、耳の痛い話であろうが、この際、覇権意識を捨てるべきだ。孫文は、『三民主義』(1905年)で中国が「覇道」(争い)を選ばず、「王道」(協調)を歩むと強調した。現在の中国にとって必要なことは、孫文思想の実現である。中国は有史以来、「覇道」を求めて版図を拡大させてきた。これでは、多くの国から反発を受ける。「一帯一路」が無残な結果になったのは、この「覇道」が災いしている。「第三国での協力」とは、「王道」を歩めというシグナルなのだ。

 

(8)「会合では政府として後押しする案件として、

    相手国の財政の健全性

    開放性

    透明性

    経済合理性

以上の4条件を満たすことが必要としている。首相訪中時に協力案を成果として打ち出すにあたり、対中強硬姿勢を強める米国など国際社会からの懸念に配慮した形だ。出席者によると中国側は『相手国とのウィンウィンの関係が重要だ』との表現で応じた」

 

前記の4条件を揃った場合、日中が融資するという。これによって、中国による相手国への政治的な影響力はゼロ同然となる。「一帯一路」を中止するより、中国のメンツが立つので「まだまし」ということであろう。