今回の安倍首相訪中は、中国国民に日本のODA(政府開発援助)による中国支援を認識させたことであろう。40年間にわたる支援額は、3兆6500億円に上る。このODA資金は、どこに使われていたか。インフラ投資に向けられ、外資系企業の中国進出にあたり大きな力を発揮した。

 

中国は、技術も資本もない国であった。それが、現在のGDP世界2位になれた原動力は、外資系企業の進出にあった。その道を開いたのが日本のODAである。この事実認識を明確にしておきたい。

 

『サーチナ』(11月4日付)は、「日本のODAは大きな助けになったが、経済成長はわが国が努力したからー中国」と題する記事を掲載した。

 

(1)「日本が中国に対して行ってきた政府開発援助(ODA)の終了について、中国では様々な報道がなされている。中国メディアの今日頭条はこのほど、「中国経済の成長は日本の援助に依存したものではなく、中国の努力によって成し遂げられた」と主張する記事を掲載した。ODAが始まった1979年当時の中国は、工業化を進めるためにインフラの建設費用や技術、人材の育成を必要としていた。それゆえ記事は、「ODAによる無償資金協力、円借款、技術協力を受けたことは大きな助けになった」と指摘。しかし、現在の中国経済は国内総生産(GDP)では日本を上回って世界第2位となっており、「引き続き日本からの支援を受けるのは理にかなわない」と指摘した」

 

このパラグラフでは、「ODAが始まった1979年当時の中国は、工業化を進めるためにインフラの建設費用や技術、人材の育成を必要としていた」と言っている。この基礎部分で日本のODAが役立ったという認識まではあるようだ。その後は、「中国人の努力」だと言って胸を張っている。この辺りの認識になると、よく理解していないようだ。

 

(2)「一方で記事は、日本が中国に対して行った援助は中国全体の発展からするとごく一部に過ぎないと主張した。たとえば、上海の宝鋼鋼鉄集団が日本の支援を受け、日本人技師らと計画した製鋼工場は、規模としては中型で一部の需要を満たすのみに過ぎないと主張したほか、40年間に日本が供与した金額と、現在の中国の鉄鋼生産量を比較しても「日本の援助は大きな影響を与えたと言える金額ではない」と主張し、「中国経済の成長は日本に依存したものではなく、中国の努力によって成し遂げられたものである」と主張した」

このパラグラフのおかしい点は、次のような喩えを持出せばよいだろう。

 

「穀物の種をくれた人がいたとする。その種を蒔いたら何百倍もの収穫があった。その収穫高と種の量を比較して、収穫高が多いからこっちの方が上」という自慢話と同じなのだ。種をくれる人がいなければ、多量の収穫は上げられない。こういう単純な事実を思い浮かべれば、中国が日本に自慢するのはお門違いである。