日産自動車会長だったカルロス・ゴーン氏の逮捕劇は、フランスと日本の感触において随分と異なるようだ。日本では、重大な犯罪行為と見るのに対して、フランスは微罪という印象だという。むしろ、日本側がゴーン氏を追放するべく、日産と司法がグルになっているというのだ。

 

フランス側が、ゴーン氏を擁護しようという背景には次のような点が見られる。

 

第一は、捜査資料が開示されていないことや、被疑者に対する捜査手法の日仏の違いである。日本は、弁護士の同席を認めずに取り調べるが、フランスでは弁護士同席で取り調べる。勾留期間は日本が20日間、フランスが4日間など大きな違いがある。どちらが正しく、どちらが悪いという問題でなく、日仏には相違点があることを知らせる必要がある。

 

第二は、ゴーン氏が日産の経費で自分の支出すべき費用を賄った、特別背任問題である。フランス側は、これを微罪と見ている裏に、倫理感=コーポレートガバナンスの欠如を感じる。この問題を遡ると、カソリックと武士道という倫理感に辿り着く。中世カソリックには、免罪符という形が存在した。罪を金銭で贖(あがな)うことだ。これがプロテスタントから重大視され、宗教改革が起ったことはよく知られている。

 

日本は武士道である。武士は田畑の所有を禁じられていたように、「清廉潔白」が求められている。その点では、プロテスタントに似通った面がある。武士道では、質素、清廉、神仏への帰依などが奨励された。このように、現代の日本人にもカソリックとは異なる倫理感が脈々と息づいていると言えそうだ。日本人が、ゴーン氏の振る舞いに眉をひそめる裏には、この倫理感の違いがあろう。

 

第三は、産業政策の違いである。ルノー株の15%はフランス政府の出資である。日本では、政府の企業出資は官営企業の民営化以外に、存在しなくなった。このように、日仏の産業政策には隔たりがある。フランス政府は、ルノーに日産を吸収合併させ、日産をフランス企業に衣替えさせる「野望」を持っている。日本の資産(技術と資本)が、フランスに持ち去れるような話だ。これは、日産という枠を超えて、日本経済の損失問題になる。

 

日産の経営が立派に立ち直り、ルノーグループの中核になっている。この状態で、ルノーが出資比率45%を盾にして、乗っ取るようなことは阻止しなければならない。