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文在寅氏が、生涯を政治家として生きる決意を固めたのは、金大中・元大統領が亡くなる直前に文氏ら数人に後事を託した席であったという。金氏の「遺言」がなかったら、政治家向きでない文氏が、大統領になる決意を固めなかっただろう。

 

文氏の政治の師匠ともいうべき金大中氏は、当時の韓国に充満した「反日」を取り除き、率先して日本との協調に道を開いた。これが韓国経済の発展にどれだけ寄与したか。「反日」の先頭を走る文大統領は、危機に直面する韓国経済の立て直しのために何をなすべきか。金大中氏の墓前に立って自省することだ

 

『中央日報』(2月21日付)は、「30年前に裕仁天皇に頭を下げた金大中から学ぶべき」と題するコラムを掲載した。筆者は、同紙のカン・チャンホ論説委員である。

 

(1)「わずか30年前の1989年1月9日。88歳で死去した裕仁天皇の焼香所が設けられたソウル中学洞の日本大使館を訪れ、深く頭を下げる政治家がいた。当時の最大野党、平和民主党の総裁だった金大中だった。その裕仁天皇の焼香所で金大中は頭を下げて深く哀悼の意を表した。その場面は京郷新聞の写真で報道された。頭を下げた角度で親日かどうかを測定するのなら金大中は断然「スーパー親日派」だ。それだけでない。大統領になった後に日王を「天皇」と呼ぼうと言った政治家も金大中だった」

 

野党指導者の金大中氏が、韓国政府によって拉致されたとき、その救出のために全力を尽くしたのは日本政府であった。その金氏が死刑判決を受けたとき、韓国政府に対して必死でその無謀を止めたのも日本政府である。金氏は、日本の誠意を知っていた。だから、大統領に就任して、対日融和に大きくカジを切った理由である。


(2)「青瓦台(チョンワデ、大統領府)の586世代(現在50代で、80年代に大学生で民主化学生運動に参加し、60年代生まれ)は信じられないだろうが、彼らの上の世代の金大中が第5共和国の死刑を免れて民主化の主役として華麗に再起したのには日本の役割が大きかった。金大中は日本の存在感を正確に把握して彼らと友人になろうと努力した大物だった。彼は大統領になると、保守政府が「倭色」として禁止してきた日本映画・歌謡の国内公演を大幅に認めた。これで日本の心をつかんだ後「新韓日宣言」を引き出し、日本は金大中の太陽政策を支持する核心パートナーになった。太陽政策に疑いの視線を向ける米国の心を変えるには対日関係から固めるべきという戦略が的中したのだ」

 

金氏は、堅固な日米関係を理解していた。米韓関係の強化のためには、日韓関係を強い絆で結ぶべきであると「迂回作戦」に出た。それが、一連の日本との和解政策である。金氏は敬虔なクリスチャンである。日韓和解には、そういう信仰による側面もあったのだろう。文在寅氏もクリスチャンだ。金氏と比べて、信仰の度合いが薄いようである。

 

(3)「金大中は裕仁天皇個人でなく日本に向かって頭を下げた。それが我々の安保と国益につながるという確信のためだったはずだ。日本の首相に頭をどの角度で下げたか、日本大使館の行事に出席したかなどで親日かどうかを判断する民主党の後輩たちを見て、金大中元大統領が墓で舌打ちをする音が聞こえそうだ」

 

金氏は、韓国の安保と国益のために働いた意味で、真の大統領であった。文大統領は、安保と国益を捨てて、自らと与党の支持率を上げるために、「反日」を利用している。

(4)「民主党と文在寅政権は大韓民国を動かす船長だ。野党時代には保守政権の「親日妄動」を糾弾すればそれまでだったが、今は国益のために精巧な対日外交をする責任が大きい。しかし過去1年半に政府がしたことを見ると、日本の悪口ばかりで行動は何もしない「NATO」(No Action Talk Only)だ。日本を国内政治のために売り飛ばし、支持率維持の道具として使うのならそうすればよい。そうするほど民主党と政府は金大中が残した偉大な韓日関係の遺産をつぶしていくだけだ。対北朝鮮政策も経済も隣国の日本と関係が弱まればいつでも致命傷になることを忘れてはいけない

 

現在の日本には、韓国への冷めた感情しかない。日本の行為をことごとく逆に取り、破綻させているからだ。日韓関係の悪化によって、日本の失う物は何もない。それが現実である。韓国は逆である。「対北朝鮮政策も経済も隣国の日本と関係が弱まればいつでも致命傷になることを忘れてはいけない」と指摘しているとおりだ。北朝鮮の金日成が、韓国を支えているのは日米であると見抜いていた。韓国は、その日本と仲違いしたら、もっとも喜ぶのは北朝鮮と中国である。外交は、単眼でなく複眼でなければならない。