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中国新疆ウイグル自治区では、中国政府によって300万人以上の人々が強制収容されている。ウイグル族を「民族浄化」しようという、恐るべき犯罪行為だ。民主世界は厳しく糾弾している。

 

イスラム世界は、この同胞に降りかかった災難について見て見ぬ振りをしている。イスラムの宗派間の争いは深刻であるが、新疆ウイグル自治区で起っている悲劇になぜ、声を上げないのか。アラーの神は許すだろうか。

 

『ウォール・ストリート・ジャーナル』(2月22日付)は、「中国のウイグル族迫害、傍観するイスラム世界」と題する記事を掲載した。

 

(1)「ウイグル語を話すウイグル族の苦境は現在、深刻化している。中国政府は新疆ウイグル自治区のイスラム文化を一掃し、中国人と同化させることを目指している。国連の報告者によると、最大100万人ものウイグル族やその他のイスラム教徒がネットワーク化された「過激思想対策のためのセンター」に収容されており、さらに200万人が強制的に「政治・文化的再教育キャンプ」に送られているという」

 

新疆ウイグル自治区では、300万人以上が強制収容所に入れられている。これほどの人権無視の残酷な事件があるだろうか。中国は、こういう阿漕なことをやりながら、世界覇権を目指しているのだ。

 

中国政府は、IT機器を多用して民衆を管理するノウハウを蓄積しつつある。世界中にファーウェイ製品を設置して、世界を「一元管理」するというとてつもない構想が練られているに違いない。新疆ウイグル自治区の強制収容所は、その準備作業の一つであろう。

 

(2)「トルコのレジェプ・タイップ・エルドアン大統領は、中国政府が2017年に開始した新疆ウイグル自治区の弾圧に対して、自ら声を上げてはいない。他のイスラム諸国の指導者もほぼ一様に口をつぐんでいる。これは、パレスチナ人に対するイスラエルの扱いや、ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャの危機的状況について、イスラム諸国が一貫して非難を続けているのと対照的だ。新疆ウイグル自治区での組織的な迫害について、トルコ政府は今月に入ってようやく「人道的に恥ずべき行為」との反応を示した。この例外的な非難のコメントは、外務省報道官の声明という形をとっており、エルドアン氏がしばしば行う、イスラム教の大義に関する世界に向けた感情に訴える発言のような重みはなかった」

 

イスラム諸国は、「ダブルスタンダード」である。中国におけるウイグル族虐待については沈黙して語らない。だが、他国におけるイスラム教信者への弾圧に対しては、強い抗議の声を出す。これは、どう見てもおかしなことだ。中国に対しても強烈な抗議と、ウイグル族解放という名での「実力行使」をしてもおかしくない状況である。現実は、黙して語らずである。

 

(3)「こうした変化の説明は容易だ。「一帯一路」構想による大規模な投資戦略と、拡大し続ける軍事・技術面の影響力を背景に、中国がイスラム世界、そして全世界においても、あまりにも中心的役割を果たすようになったため、ウイグル族の大義は重視されなくなったのだ。米国の外交政策が予測不可能な現状において、イスラム諸国が保険として中国に接近している状況では、こうした傾向は特に強まらざるを得ない「中国は、その経済力と政治力を使って、イスラム世界を黙らせることに成功した」と言われているほどだ」

 

米国がはっきりと抗議すれば、イスラム世界も米国の支援があると見て、中国へ抗議するだろうと指摘している。確かにそういう側面はある。米国自身が、中国へ本腰を入れて制裁を加えるくらいに立ち向かう必要がある。

 

(4)「中国の人権問題を検討するため国連が11月に開いた会合では、批判の声は主に欧米の民主主義諸国から示され、サウジアラビア、パキスタン、バングラデシュなどのイスラム諸国は中国政府を褒めたたえた。パキスタンのイムラン・カーン首相は、1月にテレビインタビューでウイグル族の扱いや収容キャンプについて質問された際、自国の国境のすぐ先にある新疆ウイグル自治区について「正確な状況」を把握していないという決まり文句を繰り返した」

 

イスラム各国は、中国の経済力の前に中国批判を封印せざるを得ない。情けない現実だ。だが、中国の経済力は、これから「下り坂」一方である。10年後の中国経済を想定したことがあるだろうか。内政は大いに乱れているはずだ。高齢化の進行とともに、年金を貰えない国民が大量に増えくる。人民解放軍の退役兵の年金不足は、すでに深刻な事態に入っている。

 

膨大な軍拡費用と年金財源が両立できず、しわ寄せは広く年金財源枯渇をもたらすであろう。その時、退役兵士と民間人が手を組んで、騒ぎ(主張貫徹)を起こす可能性が高いと見る。習近平氏が、被告席に立たされることも妄想とは言えまい。中国の歴史は、こういう繰り返しである。