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中国通信機メーカーのファーウェイ(華為技術)は、孟副会長のカナダでの逮捕の後、米国引き渡しをめぐる審理が始った。これと前後して、ファーウェイ本社が積極的な広報戦術に出ている。米国主要紙での広告を打ったほか、今度は主要メディア記者をファーウェイ本社のある中国へ招待取材するというもの。招待を受けた記者が、これをツイッターで暴露して騒ぎが広がっている。

 

これまでのファーウェイは、広報に不熱心な企業で有名あった。CEOの任氏は記者嫌いであり、滅多に取材に応じなかった。だが、娘の孟副会長が逮捕されるに及び、その「親心」から、広報で積極対応を始めている。ここまでのPRは、当然のことで不思議でない。だが、①記者招待、②米紙への意見広告、さらには、③孟氏がカナダで逮捕状執行前に所持品の検査を受けたことは不法であると当局を訴えるに及び、私はあることに気付いた。

 

それは、「中国人民解放軍政治工作条例」の三戦(さんせん)と呼ばれる戦術である。世論戦(輿論戦)、心理戦、法律戦の3つの戦術を指している。これらの戦術を駆使して、中国の正統性を認識させるというプロパガンダである。具体的には、次のような内容である。

 

「輿論戦」は、中国の軍事行動に対する大衆および国際社会の支持を築くとともに、敵が中国の利益に反するとみられる政策を追求することのないよう、国内および国際世論に影響を及ぼすことを目的とするもの。

 

「心理戦」は、敵の軍人およびそれを支援する文民に対する抑止・衝撃・士気低下を目的とする心理作戦を通じて、敵が戦闘作戦を遂行する能力を低下させようとするもの。

 

「法律戦」は、国際法および国内法を利用して、国際的な支持を獲得するとともに、中国の軍事行動に対する予想される反発に対処するもの。

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これらの「三戦」に照らし合わせ、ファーウェイの最近の動きを見ると奇妙に一致していることに気付くのだ。

 

「輿論戦」は、米国メディアの記者を招待取材させ、ファーウェイの言い分を書かせる。同時に、今後ともファーウェイ=中国の「片棒」を担ぐ記事を掲載させるように誘導する。

 

「心理戦」では、先に不法拘留した二人のカナダ人が、中国の機密情報を共謀して盗み出そうした、というでっちあげの理由を公表した。これは、孟副会長の引き渡しをめぐる審理開始に合わせてきたもの。明らかに、カナダ政府への圧力である。

 

「法律戦」は、孟氏が逮捕状執行前の2時間にわたり孟氏の私物を検査したのは違法という訴えである。また、米国政府が、ファーウェイ製品販売を禁止したのは違法であるという訴えを起こしている。

 

以上のように、最近見られるファーウェイの行動は、中国人民解放軍の常用手段の「三戦」に則ったものであることは明らかである。ファーウェイにとっては戦争に値する重大局面である。

 

『大紀元』(3月5日付け)は、「ファーウェイ、海外メディアを全費用負担で本社招待、記者ら反発」と題する記事を掲載した。

 

中国の通信機器大手「華為技術」(ファーウェイ)が、海外の記者に対して「渡航費用負担で深圳の本社に招待する」という内容のメールを送信したことが明らかになった。メールを受け取った記者らは相次ぎツイッターで暴露した。

 

(1)「ワシントン・ポスト記者のジョシュ・ロギン氏は31日にツイッターで、ファーウェイからのメールを撮影した画像を掲載した。そして『ファーウェイの資金を受け取るような米国のジャーナリストは恥じるべきだ』と書き、会社方針と個人の倫理に基づき、外資系機関から何千ドルもの贈与は受け取ることはできないとした。ロイター通信の米官邸担当記者ジョナサン・ランディ氏は、ロギン記者のツイッターに返答する形で、自らも同じ内容のメールを受け取ったと述べた。しかも、送り主は、在米中国大使館の広報事務所だという」

 

(2)「メール本文によると、ファーウェイは海外記者を深セン本社や研究所などに招き、「ファーウェイのあらゆる幹部と会える機会」を提供し、さまざまな製品の製造ラインを見学でき、また「米国からの挑戦により会社が直面する問題について、記録禁止の機密会議を行う」という。「ファーウェイはあなたのホテル代、飛行機代、食費などを提供する」とも書いている。海外メディア関係者を接待し、ファーウェイあるいは中国政府寄りの考えを形成させる狙いがあるとみられる」

 

米国は、ジャーナリストの倫理観が最も確立した国である。ジャーナリスト=正義の擁護者という認識の国である。その米国ジャーナリストに「全額負担の招待取材」を持ちかけても拒否されて当然である。中国記者に対すると同じ振る舞いをしたのだろう。

 

米国開拓時代、荒野の貧しい家庭のテーブルにも、必ず置かれていたものが二つあった。地元の新聞と聖書である。フランスの社会学者A・トクヴィルの書いた『アメリカの民主政治』(1835年)に出てくる一節だ。米国人にとって、新聞の持つ意味はきわめて大きい。その新聞を担う記者に札束を見せつけるような行為は、反感を買って当たり前であろう。