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日本は、西暦と元号の二本立てである。いかにも日本らしい時代表記方法である。国際化と伝統を両立させているからだ。元号で見ると、時代の特徴がよく表れている。明治は勃興期であり、その後遺症が大正と昭和20年の敗戦まで続いた。その後の高度成長とバブル経済の発生。平成はバブル後遺症の処理で大半を過ごし、ようやく水面に顔を出したところだ。

 

新元号の時代は、過去の負の遺産(戦争とバブル)から抜け出して、自由に動ける身になったが、高齢社会という大きな荷物を抱えていることに変わりない。だが、世界中が高齢社会に向かっている。日本はその意味で、先頭に立っている。「日本モデル」を世界に提供できる光栄に浴している。

 

「日本モデル」によって、人生100歳までの活躍を世界に普及させることだ。その意味で、「和食」が世界的ブームになっている。アジアの片隅の日本が、世界中に高齢社会のあるべき姿を提示できるのは、「戦争放棄」で政治の原点が国内に集中させられる環境であることも隠れた要因だ。

 

中国のように「帝国モデル」では、内政よりも外延的な拡大に政治の原点が向かうことになる。国内にあれだけの問題を抱えながら、世界中に軍事基地に転用できるような場所を鵜の目鷹の目で探している。一帯一路はその先兵だ。米国に対抗して何のメリットがあるのか。それは、「中華帝国のメンツ」だけである。もっと具体的に言えば、共産党指導部が世界に号令を掛けたい。その程度の喜びであろう。過去の中華帝国が、世界の中心であったから、中国共産党もその再現を果たしたいというのであろう。

 

かつて日本が、太平洋戦争を始めたときの狙いは、アジアの盟主になることだった。それは、米国の1911年以来の「オレンジ作戦」によって阻まれた。日本軍部は、自らの勲章が増える程度のことに身命を賭したのだ。中国共産党が狙う世界覇権論も、その程度の話であろう。グローバル化した現在、北京が世界中に指令を発するには、中国自身が世界共通の価値観に変わらなければならない。その覚悟があるだろうか。未だに、マルクス・レーニン主義を唱えている国が、変われるはずがない。

 


新元号の時代で、日本が最も悩まされる外交テーマは、米中対立をどう裁くかである。よく考えて見ると、米中の対立の仲介者になれるのは日本だけである。日本は、米中双方と戦争した経験がある。この経験を生かして、中国に米国と戦争することの無益を説くべきである。日本の総理大臣は先ず、米中を相手にして双方を説得できる外交手腕が問われるはずだ。

 

そうなるには、強固な日米関係を基盤にして、中国と強力な外交戦を行える環境を整えることであろう。中国が嫌う靖国神社参拝はしない方がベターであろう。あるいは、この際「国立墓園」を設置して、天皇陛下が参拝できる状況をつくることが求められる。

 

中国は、外交相手に保守派を歓迎する空気がある。米中復交の際、毛沢東はニクソンに「私は、あなたが大統領に当選することを願っていた」と語っている。理由は、保守派は実行力があるというのだ。もし、習近平氏もそうであるとすれば、日本外交は、かつての鳩山氏のような右顧左眄型では軽く見られる。重量型でテコでも動かない信念を前面に出すべきである。日米は同盟国である。この鉄壁の同盟を承知の上で、中国と外交しましょう。そう宣言することだ。中国は、それを承知だから慎重は外交姿勢になるはずだ。

 

中国に、日米関係を離間させるような隙を絶対に与えないこと。隙を生むことが、米国の日本への疑惑を生む原因になり、ひいては日本が中国から軽く見られるきっかけを与えることになるのだ。現在の米韓関係は冷え切っている。文政権が、北朝鮮の金正恩氏に肩入れしすぎている結果だ。日本が、中国へそのような姿勢を取れば、たちまち日本の外交的価値は下がるだろう。

 

明治以来の日本外交が成功していた時期は、すべて日米関係が良好であったときである。日米が対立する局面では、日本が経済的にも大損害を被っている。理由は簡単だ。米国外交は、自由主義・民主主義を旗印にしている。この米国と疎遠になることは、日本が、世界的な普遍価値に背を向けた証明だ。中国が米国と対立するのは、世界的な普遍価値に背を向けていることに外ならない。中国外交の敗北を予告しているようなものだ。