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中国は、世界の至る所で警戒される「嫌われ者国家」になっている。将来の米中競争時代になって勝敗を分けるのは、日本が米中どちらに味方するかで決まる。中国は、そう信じ始めた節が見られる。

 

もちろん、日本は日米同盟によって米国の味方として、自由と民主主義の価値観を守る一翼を担う。このくらいのことは分りそうだが、今の中国はそういうことも分らないほど孤立感に悩まされ始めている。身から出たサビとは言え、理性の足りない振る舞いが、現在の苦境を招いたのだ。

 

『レコードチャイナ』(4月5日付け)は、「『令和』は日本経済の新しい時代を開くことができるか」と題する記事を掲載した。

 

中国メディア『新華網』(4月3日付け)は、「平成に別れ、令和は日本経済の新しい時代を開くことができるか」とする記事を掲載した。


(1)「記事はまず、平成の約30年間の日本経済について『苦難に満ち、懸命にもがいた30年間だった』とし、『平成に別れを告げ、令和を迎えるに当たり、日本の経済界は将来への期待に満ちあふれている』とした。そして、『平成元年の日本人は夢のようなバブルに魅了され、世界各地で心ゆくまで観光を楽しみ、高級ブランド店を駆け巡っていた。日本の産業界もうぬぼれ、世界から学ぶものはもはや何もないと思っていた。ところが思いもよらないことに、平成元年の夢はわずか1年にすぎなかった』とし、『失われた20年』と呼ばれる経済の停滞が続いたこと、『低欲望社会』に突入したことなどを紹介した」

ここでの指摘は、すべてその通りである。明治期の軍事的勃興期の後遺症は、大正期と昭和20年までかかって精算した。昭和21年以後の経済勃興期の後遺症は、平成期をかけて精算した。その意味では、令和こそ、辛酸をなめた日本がようやく社会的に安定した時期を迎えられる段階になったことを意味する

 

実は、平成期に経験した日本の経済的苦難が、これからの中国に襲いかかるという覚悟はあるだろうか。文面から受ける印象では、中国は日本を他人事のように見ているがそうではない。現在の中国が、まさに「産業界もうぬぼれ、世界から学ぶものはもはや何もないと思っている」のだ。米国覇権へ挑戦するなどと「身の程知らず」のことを言い出しているのはその証拠である。

 

すでに、中国のバブル経済は破綻している。政治権力で、住宅価格の暴落を防いでいるだけだ。事実上は、破綻も同然の事態に突入している。

 

中国経済を救うには、国防費膨張という無駄を止めることである。その費用は、過剰債務の処理に向けるべきだが、それを怠っている。日本の防衛費は、GDPの1%である。中国は裏防衛費を含めればGDPの4%に達している。こういう軍拡を続けながら、不良債権の処理をできるはずがない。中国は、世界覇権を握って何を始めるのか。世界中をマルクス・レーニン主義に染め上げるのか。すでに破綻した「教義」で世界を統治できると考えているところが、中国の限界である。

 


(2)「そして、『初春令月、気淑風和』に由来する新元号の『令和』について、『美しい将来に対する日本人の期待が寄せられている』とし、『日本経済は依然としてデフレや高齢化、巨額の財政赤字などの深刻な問題に直面しているが、日本の産業の多くは長期的な調整を経て躍動を試そうとしている』『日本はIoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)、ロボット、自動運転、環境事業、医療介護などの分野で強大な競争力を示している』『日本の経済界は、新元号の始まりに合わせて日本経済の新しい時代を開くことを渇望している』『令和時代には、構造的問題の対策を探し当て、産業構造の調整を完了し、最低賃金と平均賃金が上がり、社会がより平等になることが広く期待されている。より速い経済の成長を追求するのではなく、よりバランスのとれた社会を追求すること。これが日本の国民と政策立案者の令和時代における普遍的なビジョンだと言える』などと論じた」

 

このパラグラフの主張にも全面的に賛成である。中国もこういう状態になれるように、軍拡を止めることだ。中国には古来、「大同主義」という理想論がある。儒教の最高の精神は、自分のために生きるのでなく、社会全体の貧しい恵まれない人々を幸せにすることにあるのだ。この最高倫理から見れば、現在の中国政府のやっていることは著しく逸脱している。自我(覇権論)を捨てて、世界のために生きる。そういう思想にはなれないのだろうか。「大同主義」は、中国のお飾り理論で終わるに違いない。