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韓国の文在寅大統領は、「積弊一掃」の名の下に反日と保守派を一括りにして一掃しようと狂奔している。その精神構造がしだいに明らかになってきた。それは、自らを永久の弱者と位置づける「奴隷道徳」に冒されていることだ。文氏は、社会派弁護士として活躍し政治家になり、今や財産は2億円を超える資産家だという。

 

文大統領は、これだけの財産があってもなお社会的弱者とすることは無理である。ならば、その「奴隷道徳」から抜け出し、大統領として「主人道徳」を取り戻すべきだ。つまり、自己肯定によって韓国の存在に自信を持ち、日本への怨恨を絶つこと。国内的には保守派に対して融和的な政治姿勢を確立すること。文大統領は、「主人道徳」によって初めて政権が安定し、日本との関係も回復するであろう。

 

「奴隷道徳」や「主人道徳」という聞き慣れない言葉を使ったが、ドイツの哲学者ニーチェが使ったもの。弱者の奴隷道徳を脱して、強者の主人道徳を説いた。これは、自らを精神的に強くさせるのだ。

 

『朝鮮日報』(4月14日付け)は、「文在寅大統領が語る『美しい復讐』の矛盾」と題するコラムを掲載した。筆者は、同紙の黄大振(ファン・デジン)政治部次長である。

 

(1)「『主流』と『非主流』の存在を前提としよう。韓国社会では主流は批判の対象であり、非主流は憐憫(れんびん)の対象だ。現政権関係者は今も自分たちを『非主流』だと考えている。文大統領も大統領選の当時、『大韓民国の主流を交代させたい』と発言した。ある側近が『どんな国をつくりたいか』と尋ねたのに対してそう答えたのだという。文大統領の脳裏には大韓民国の主流と非主流が明確に区分されており、自身も非主流に属すると考えていたのだ」

 

韓国は、主流=保守、非主流=革新という位置づけである。この位置づけ自体が間違っている。現在の主流は革新である。主流と非主流が入れ替わったのだ。後のパラグラフに出てくるが、主流=君主の道徳(主人道徳)、非主流=奴隷道徳と置換えれば、文政権は、違った視野から内外の政治と外交の展望が開けるに違いない。これまで、敵対勢力と見えたものが、自らが主体意識による誇りを持てば、いたずらに戦闘的にならず融和姿勢が生まれ、すべてが円滑に運ぶだろう。文大統領は、ここで一呼吸置いて「積弊一掃」などと力まないことだ。「積弊一掃」なる言葉こそ、非主流意識そのものである。主流意識=主人道徳で取り組むべきであろう。

 

(2)「文大統領は朴槿恵(パク・クンヘ)政権下で文化人の『ブラックリスト』事件が浮上した際にもツイッターで同様の発言を行った。文大統領は『大韓民国に再びそのようなことがないようにする。最も美しい復讐とは、我々が彼らとは異なることを示すことだ』と述べた。ここで言う『彼ら』は『主流』であり、『我々』は『非主流』だ。現政権の『積弊清算』『自分が正しく他人は誤り』という路線の根はそこにある」

 

文政権の仮面は、すべて剥がれている。前政権の行なっていた以上の醜悪な行為が、次々と白日のもとにさらされているのだ。非主流が主流に移行すると、権力の密に溺れてしまい途端に我を忘れる。これこそ、主流=主人道徳が確立していない証拠であろう。何が、「積弊一掃」かお笑い種である。文政権自体が積弊になったのだ。

 

(3)「フランス語にルサンチマンという言葉がある。何かを長い間考え続けることで、韓国語の『怨恨』や『復讐心』に近い。ニーチェはルサンチマンが奴隷道徳をつくり出すと説いた。奴隷は自分たちがなしえないことについて、そこから生じる挫折感を克服するために復讐を想像する。ゆえに奴隷道徳は根本的に敵対的世界、すなわち『主流』に対する反作用だ。自分たちが道徳の中心ではない

 

現在の文政権が陥っているのは、奴隷道徳である。ここでは、根本的に敵対的な世界になる。

 

(4)「ニーチェは奴隷道徳と反対に『君主の道徳』も指摘した。君主の道徳は自分自身を強く肯定するところから生じる『高貴な徳』だとした。与党幹部が自分たちを堂々と『主流』であると肯定することを望む。世の中が違って見えるはずだ」

 

文政権が、君主の道徳(主人道徳)に立ち返れば、いたずらに内外で敵対行動を取らなくなるであろう。「反日」によって韓国を弱者に仕立て、永久にその呪縛から逃れられずもがいている。間欠泉のように、定期的に反日で騒ぎ立てて精神的安定を得ているのは、韓国自身にも利益にならない行為だ。