韓国大統領府が、親日積弊一掃を掲げて暴走している。これに対する批判が、韓国国内から出始めてきた。日本を批判して何の利益があるのか。韓国は、利益どころか大きな損失を被る。そういう冷静な立場で文在寅政権を批判しているのだ。
『中央日報』(4月1日付け)は、「過去に退行する韓日関係、これ以上は放置できない」と題するコラムを掲載した。筆者は、朴チョル熙(パク・チョルヒ)・ソウル大国際大学院教授である。
(1)「文在寅政権は発足当時、韓日関係は「歴史は歴史、協力は協力」というツートラック接近法を取ると述べた。ところが今は歴史ばかりを追及し、協力はない。未来志向的な関係の構築に努力するという美しい修辞は語録にだけ残っている。反日感情を前に出して政治的に短期所得を得る『日本たたき』にしか見えない。日本をたたきながらも中国には低姿勢で一貫しているのが現在の姿だ。韓国に経済報復を繰り返す中国には一言も言えず、国民が粒子状物質の多くの部分が中国からくることを知っているが、中国の話はしない。粒子状物質を共に解決しようという文大統領の発言に中国外務省報道官が面と向かって非難しても反論もできない」
文政権は、北朝鮮の「チュチェ思想」の信奉者である。思想的に偏向している集団に何を語り掛けても無駄である。最低限、文政権が幕を引かない限り日韓関係は改善しないだろう。
(2)「『日本などなくても良い暮らしができる』と判断をしているのだろうか。根拠のない自信はどこからくるか分からない。北朝鮮の核問題が解決せず安全保障危機が訪れる場合、日米は我々の安全保障のリンチピンだ。もし経済がさらに悪化して危機状況が到来すれば、日本は韓国の安全弁だ。『すべてのことがうまくいく』という希望に依存してはいけない。平和は奇跡のように訪れないが、危機は悪夢のように近づく。希望を捨てずに目標を追求しなければいけないが、問題に備える複眼的な視野を持たなければいけない」
文政権の根拠のない自信は、「チュチェ思想」という狂信に酔っている証拠だ。民族主体論がこの「チュチェ思想」の根幹である。南北が一体になれば、北の核で日本を脅迫できるとでも考えているのであろう。
(3)「日本に過ちがあるのに攻撃して何が悪いのかと反問するかもしれない。しかし日本は我々よりも先進国であり、国際社会で影響力がある国という事実に目を閉じてはいけない。歴史を忘れた民族に未来はないというが、力を育てない民族にも未来はない。過去に集中して反日に没頭するのではなく、日本よりも良い暮らしをして活力あふれる国に育てる道を探すのが実事求是の政治だ」
日本が、ASEANで最も高い評価を得ている事実を知っているだろうか。世界的な評価でも五指に入る国である。日本の「平和国家」というイメージが定着している結果だ。その日本に対して、韓国儒教の朱子学で批判するのが文政権である。韓国は道徳国家と自負している。現在の韓国で見られる政治的、社会的な紊乱は、それとかけ離れている。他国を批判する前に、自国の乱れを反省すべきである。
韓国教養人により、韓国政府の保守頑迷な対日外交を強烈に批判するケースがしだいに増えている。文氏の日本批判は、「官製民族主義」であるとして、その危険性が批判されているのだ。
(4)「外交は相手が存在し、自分たちの思い通りにはならない。米中の葛藤が深まる状況で日本と恨み合って何の実益があるか。日米が率先するインド太平洋戦略で韓国の重要性は落ちている。日米は韓国を決して捨てないという望みは守られるのか深く考えなければいけない。韓半島にわが民族の平和さえ訪れれば、北東アジア情勢を自分たちの思い通りにできるかについても自問してみる時だ。韓半島の地政学をより広い視野で眺める必要がある」
中国は、世界覇権をかけて無益な争いを米国に仕掛けようとしている。日本は、日米同盟を基盤に自由主義・民主主義の普遍的価値観を守るために、米国を支援するのは当然である。その際、韓国はどういう立場を取るのか。米韓同盟の立場を守るのか。文政権では旗幟を鮮明にせず、形勢観望という最も卑劣な手を使うだろう。こうして、米韓同盟はひび割れして、外交の孤児となろう。文政権の外交方針によれば、こういう道が選ばれるに違いない。
(5)「過去が韓日関係のすべてではない。相手を非難する前に自らを省みるべきであり、過去へと後退するのではなく未来の力を育てることができてこそ国民は安心する。我々が韓日関係を無視して放置し、日本にだけ要求すれば説得力はない。お互い真摯に対話し、妥協できる部分を探しながら実利を模索するのが外交だ。外交で一方的な勝利は存在しない」
文政権は、「86世代」という特異の歪んだ価値観の世代が支配している。時代が進み、この世代の影響力が薄くなるまで後、10年はかかるだろう。その間の日韓関係に多くを期待できない。文政権の後も与党政権が続けば、改善どころか悪化の一途を辿る。