現在の韓国政治は混乱している。米韓同盟という枠からはみ出て、中国や北朝鮮へ傾斜しており、米国の不信を買っている。世界情勢が米中の覇権争いで揺れる間、韓国は、二股外交をするつもりに見えるが危険である。真の味方は得られず、時代に翻弄されて旧李朝と同様に歴史から姿を消しかねない。
私はこれまで、折りに触れ文政権の二股外交の危険性を指摘してきた。民主国は、民主国の同盟内に止まることが、安全保障面ではるかに確実な担保を得られることを理由に掲げてきた。文政権も一応は、そういう節度をみせてはいるが、中国の強い圧力がかかったらどうなるか分らない不透明さがある。韓国の進歩派政権の抱える根本的な脆弱性がここにある。
『朝鮮日報』(6月28日付)は、「旧韓末に似た世界情勢、文大統領は高宗と同じ道を歩むのか」と題するコラムを掲載した。筆者は、同紙の朴正薫(パク・チョンフン)論説室長である。
世の中がまるで「旧韓末」(大韓帝国期)のようだと言われる。国際情勢と大国の対立、貿易・通商から地政学的環境までもが100年余り前の旧韓末を連想させる。帝国主義の列強がわが国の首を締め上げた19世紀末のように、再びどちらの味方につくのか、選択を強要されている。
緊張する国際情勢よりさらに旧韓末らしいのが、今の韓国と日本のリーダーシップだ。今日本には華やかな過去を夢見る指導者が登場している。日本の安倍晋三首相が明治維新の主役たちをモデルにしたというのはもはや秘密ではない。首相としての安倍首相の動きは伊藤博文に例えられる。韓国にとっては敵だが、日本で伊藤博文は近代化の元勲として慕われている。
(1)「まず、(旧韓末の)高宗(コジョン)は大国の力学関係を読み違え、致命的な判断ミスを犯した。当時の覇権国だった英国ではなく、非主流のロシアと手を結ぼうとした。俄館播遷(がかんはんせん、1896年に高宗がロシア公使館に移り政治を行ったこと、露館播遷とも)を見た英国は6年後、英日同盟を結び、朝鮮を日本に引き渡してしまった。文政権も同様の過ちを犯している。覇権を握った米国との同盟を弱体化させ、覇権に挑戦する中国とバランスを取ろうとしている。覇権国に背を向けた国が国際秩序の主流陣営に立つことはできない。誤った選択で外交的な孤立を招いた旧韓末の失敗を繰り返している。
国際政治の主流は、どこかという認識が甘い点では、当時も今も変わらない。中国が米国に対抗して、いろいろと手出しをしているものの、今後の人口動態変化(生産年齢人口比率の急低下など)で、圧倒的に不利であることを考えるべきだ。国力の基本は、人口動態変化にある。その点で、中国は圧倒的に不利な状況に落込んでいる。
(2)「次に、高宗は力がなければ国を守ることはできないという実力主義の原理を理解できなかった。改革の熱情はあったが、観念にとどまり、その意志も努力も弱かった。文政権の国政も富国強兵とは異なる方向へと向かっている。国力を高めることよりも経済を弱体化させ、軍事力を低下させる方向へと国政を導いている。現実ではなく理念にこだわり、縮小と文弱の道を歩んでいる」
外交は現実直視が重要である。その点で、理念にこだわっているのが韓国である。朝鮮南北統一や反日政策などは、現実を直視しない政策の典型例である。
(3)「第三に、高宗は既得権益を守るため、有能な人材の力を除去する自殺行為に及んだ。急進派、穏健派を問わず、開化派を殺害、追放し、富国強兵勢力の芽を摘んだ。人材がいなくなった朝鮮は売国奴の天下となり、自主的に改革を進める原動力を失った。現在展開される「積弊清算」も国家の人材競争力を損ねる自殺行為だ。貴重な人的資産を葬り去り、社会的地位を奪っている。いずれは国家的損失となって跳ね返ってくるはずだ」
この点では、文政権と高宗は全く同じことをやっている。特に、外交面ではそれが顕著である。文政権の外交が失敗しているのは、外交専門家の意見を聞かず、大統領府の「86世代」という学生運動家上がりの集団が牛耳っている結果だ。