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文政権は、「積弊一掃」を合い言葉として強引に司法・検察・放送の人事を与党系に入替えた。大統領就任の際、公平・平等を高らかに宣言したが、それは表面的なこと。実質的には、保守派を追い込み、簡単に復活できないようにする戦術であった。ここまで、「悪辣」なことを行い大衆迎合を図ったが、2年半の実績は無残に終わった。何一つ、成功したものはないのだ。

 

朴槿惠政権が、弾劾で追放されるという珍しいケースであったので、文政権は何を行なっても許されると錯覚した。それが、墓穴を掘るきっかけになった。これまでの実績はゼロどころか、悪化している。今後に残された任期2年半でも、実際は1年しかない。任期5年目は、大統領選挙で浮き足たつもの。こうなると、文政権のプラスはゼロ。マイナスだけという、歴代でワースト1位の大統領は確実だ。

 

『中央日報』(11月9日付)は、「過去に埋没した2年半、今からは未来に進もう」と題する社説を掲載した。

 

(1)「韓国の出生率を見た国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事は「集団自殺社会のようだ」と述べた。3年前この時期、青年がこの国を「ヘル朝鮮」と表現して広場に出てきた。我々の社会は青年を就職・結婚・出産・マイホームを放棄した「N放世代」と呼んだ。絶望の煉獄に閉じ込められた世代、いま彼らの生活は変わったのか。希望の新しい国になったのか。文在寅(ムン・ジェイン)政権は胸に手をあてて答えるべきだ。その間、政権が何をしたかを見てみよう。いわゆる「積弊清算」にまい進した。前政権とその前の政権を清掃した。過去を調査する委員会があちこちにできた。検察が捜査し、拘束した。政権交代によって裁判所でも主流が入れ代わった。司法府の過去を検察が長期間暴いた。その間、特定研究会の構成員が裁判所の要職を次々と占めた」

 

文大統領は、権力を恣(ほしいまま)に行使した。下線を引いた部分のように、保守派を一掃するという邪念を持っていた。進歩派の政権を超長期間継続させるという前提で、司法(検察・裁判所)人事を全て入替えるという「あこぎな」ことをやったのだ。徴用工判決も日本を敗訴にさせる目的で誘導した。軍事政権とどこが違うだろうか。なまじ、「進歩派」の看板を掲げて行なった「暴政」ゆえに、許しがたいものを感じるのだ。

(2)「過去を現在に召喚しただけでなく、歴史を戻そうという動きもあった。法務部は記者と検事の接触を防ぎ、いつでも「誤報」のレッテルを貼って記者を現場から追い出せる訓令を作った。権力の言論統制は軍事独裁時代にあったことだ。主要放送局の経営陣と番組進行者も政府側の人たちに交代した。そのようにして地上波が掌握された。政権の時計は反対方向に回っている。社会を支える核心の価値である「公正と正義」は瀕死状態になった。「チョ・グク事態」が決定打だった。公正な競争や社会正義という言葉は虚しくなった。政権は自分側か相手側かを正しいかどうかの基準とする「暴力団式」正義観で社会をさらに病ませた。放送公開オーディション番組制作者が勝敗を操作したことが明らかになっても驚く人が多くない社会、我々は今このような状況を迎えている」

文氏が唱えた検察改革では、先ず記者の報道を大幅に制限させる手を打った。「チョ・グク」(前法相)事件が派手に報道されないように、記者の自己検閲を強化させる仕組みを発表した。「人権派弁護士」を名乗ってきた文氏が、権力の頂点に立ったとき、真逆のことを行なって社会を驚かせている。政権与党は、放送メディアの人事も握っている。保守派が顔負けするほど権力に酔った進歩派政権が存在するだろうか。進歩派なら進歩派らしく、身を糺すべきである。

 

(3)「運転する時にバックミラーを見るのは安全かつ効率的に前に進むためだ。長く後ろを見る運転者は危険であるうえ、時間内に目的地に到達するのも難しい。過去の善悪を確かめるのは重要だ。歴史の教訓も必要だ。しかしそれがすべてではない。未来に進まなければいけない。前を行かなければ引きずられる」


文政権が、これほど過去にこだわったのは、この先何十年も進歩派政権が続く前提で過去をひっくり返したに違いない。日韓関係の悪化もその一つであり、計算通りにやってきた。その最後は、GSOMIA(日韓軍事情報包括的保護協定)廃棄で自爆した。完全な失敗である。米国を取り込み、日本に「ホワイト国除外」をさせる戦略は空中分解した。韓国が、著しく不利な状態に追い込まれて、米国の救済(GSOMIA執行期日の延期)を待つという、お粗末さである。