a0001_000088_m
   

下記の目次で発行しました。よろしくお願い申し上げます。

 

中国の米国軽視が対立原点

香港人権法で出足を封じる

貿易と金融で米国が有利に

戦略間違えた中国は苦境に

 

1989年12月3日は、米ソ首脳がマルタ会談で冷戦終結を宣言した日である。あれから30年経つ。米ソの対立終結で、世界は平和になると期待した。米国は、中国に対して共同でソ連を追い込んだ「仲間」として遇してきた。2001年、中国がWTO(世界貿易機関)加盟に当っても、米国は積極的に後押しした。中国経済が発展すれば、専制主義が民主化されていくと期待したのだ。

 

米国の中国へかける民主化期待は、習近平氏の国家主席就任で泡のごとく消えた。米国は一時、米国の技術を中国へ自由に使わせるという恩典まで与えていた。これも、中国の民主化への願望であった。だが、中国は一貫して「革命理論」を固執していたのだ。最終的には世界革命を目指し将来、世界覇権を握る野望を鮮明にしている。その推進役が、習近平氏であるのだ。

 

中国の米国軽視が対立原点

中国が、「米国弱し」と見くびった契機は、2008年のリーマンショックである。米国経済は、金融機関の破綻や自動車メーカーGMの国有化など、瀕死の重傷を負った。財政破綻を免れるべく、多額の国債を発行。中国へ頭を下げ、国債を「買って貰った」のである。この米国の卑屈なまでの態度が、中国を増長させることになった。

 

中国は、「米国弱し」と判断し南シナ海の島嶼を占領した。ここを埋め立て、軍事基地を構築し始めたのである。オバマ米大統領(当時)は、習近平氏に抗議して「軍事基地化しない」との約束を取り付けた。そのような「口約束」を守る中国ではない。オバマ氏の温厚な外交姿勢を逆手に取って、中国は南シナ海で次々と島嶼を埋め立て、一大軍事基地を擁するにいたったのだ。

 

米国は、この予想外の事態に慌てた。トランプ大統領になって、対中強硬策に転じた背景は、以上のような米中間の経緯がある。トランプ氏を一概に、破天荒な大統領と言えない部分がある。中国によって寝首を掻かれたことへの反撃という面があるのだ。

 

米国外交は、伝統的に「お人好し」な側面を持っている。日露戦争(1904~5年)まで、米国は日本の近代化を支援していた。それが、次第に日本と距離を置き、やがて警戒論に変ったのは、日本の軍事的な野望に気付いたからだ。1910~11年、「オレンジ作戦」と銘打って太平洋での日米開戦を想定した戦略研究に着手したほど警戒姿勢に転じた。

 

米国は、このように相手国に対して「裏切られた」と認識したとき、一転して厳しく対応する国である。中国に対しても同様であろう。日中戦争当時は、中国の国民党軍支援で全力を挙げた。1949年の共産党革命後は断交したが、1979年に復交。その後は、中国経済の成長発展に向け支援してきた。その中国が、革命理論に従って米国の覇権に挑戦すると公言するにいたったのである。

 

米国にして見れば、これまでの中国支援は何であったのか。そういう落胆と怒りに燃えているはずだ。米国の怒りは、かつての日本から煮え湯を飲まされた事情と良く似ている。

 

日本が、日露戦争で辛うじて勝利を掴んだ裏に、米国の外交的支援があった。そういう恩義を忘れて、その後の日本が米国へ敵対行動を始めた。こうした日本による裏切りへの怒りは、現在の中国に向けられているはずだ。米国はカーボーイ精神である。「裏切り者は許さない」というムードが強い。この事実を見落とすと大変なことになろう。余談だが、米国が日本へ原爆2発を投下した裏には、カーボーイ精神が影響していたと言える。

 

先に米議会が、上下両院で1名の反対者を除き全員が「香港人権法」(「香港人権・民主主義法」を可決した背景を見れば、明らかである。米国が、米中貿易戦争で中国を経済的に追い込むやり方と、いささかの違いもないと見られる。

 

香港人権法で出足を封じる

香港人権法が施行されたことは、中国にとって取り返しの付かない事態を招くリスクを抱えた。この認識はまだ一般化していないが、いずれは分るはずである。

 

日本は米国と開戦する前に、米国から経済封鎖を受けた。いわゆる、日本が命名した「A

BCDライン」である。Aは米国、Bは英国、Cは中国、Dはオランダである。島国で資源のない日本が、経済封鎖を受けて、石油や鉄くずの輸入が杜絶した。日本の戦争遂行能力の削減が目的であった。(つづく)