テイカカズラ
   

「曲学阿世」という言葉がある。学(本質)を曲げて世の中に阿(おもね)ることを指す。日本では戦後の吉田首相が、当時の左派系学者を「曲学阿世の徒」と呼んで批判したことがある。韓国では最近、この言葉をもじって「曲判阿文」なる造語が生まれている。本質を曲げて文政権におもねる判決という意味である。メディアは、こういう判決が「司法の危機」を招くとして警戒観を打ち出している。

 

文政権は発足以来、「積弊一掃」と称して、前政権の司法トップをことごとく追放した。代わって登場したのが、文政権におべっかを使う輩を取り立て、重要ポストに就かせたのだ。骨のある裁判官は、この人事に嫌気して大量の自主退職届けを出している。残っている裁判官は、多くが出世コースを狙う人たちと見られている。それを裏付けるように、「曲判阿文」なる言葉が生まれるほど、文政権に有利な判決を出しているのだ。韓国進歩派と言っても、一皮剥けばこの程度の「曲学阿世の徒」と言えそうだ。

 

『朝鮮日報』(7月19日付)は、「曲判阿文、判決を曲げて文に阿る」と題するコラムを掲載した。筆者は、同紙の李明振(イ・ミョンジン)論説委員である。

 

(1)「殷秀美(ウン・スミ)城南市長の職位維持を認めた大法院判決が論議を呼んでいる。大法院は殷市長の政治資金法違反を有罪としながらも、検事が控訴状を不実記載したとして、二審の当選無効刑(罰金300万ウォン=26万7000円)を破棄した。手続き上の問題の事件そのものの判決が覆されたまれな事例だ」

 

(2)「大法院は、「検事の控訴状に具体的な控訴事由を書くことを定めた刑事訴訟の原則を確認したものだ」とした。ところが、検察出身の弁護士によれば、控訴状は「量刑不当」という4文字だけで通るケースが少なくなかったという。殷市長の事件にだけ選択的に厳しい法律の物差しを適用したという疑念が生じる。大法院に勤務したことがある人も同様のことを言っている。事実とすれば重大な問題だ

 

大法院は、韓国の最高裁判所である。例の旧徴用工賠償判決を出したところだ。大法院トップは、文政権の「積弊一掃」によって、ラッキーにも返り咲いた人事である。旧徴用工では、文大統領の期待通りの判決が出た理由である。文大統領は、大法院判決が出る3ヵ月前、「旧徴用工裁判は人権問題である」と力説する演説をしている。大法院判決を誘導したことは間違いない。文大統領も大法院長も「悪玉」である。

 

こういう政権癒着の大法院である。下線を引いたような判決が出るのは想像に難くない。日本の最高裁判所と趣が異なるようだ。

 


(3)「『技巧司法』という言葉がある。裁判の結論をあらかじめ定めておき、法律的な技術を使い、証拠を当てはめるという判事社会の隠語だ。無理に当てはめるものだから、判決には非常識的な論理が使われることもある。過去に民主労働党議員のいわゆる「空中浮揚」事件に無罪を言い渡した判事は、国会事務総長室のテーブル上で活劇を演じた議員が「極度の興奮状態」だったため、犯罪の故意はなかったと指摘した

 

裁判は、行為自体を罰することで動機を重視するべきでない。せいぜい、「情状酌量」する程度だろう。それが、動機100%評価、行為0%評価では、この種の事件再発を防げないだろう。ここでも進歩派優遇の判決が出ている。

 

(4)「最近の判決を見ていて、技巧司法が再び思い出された。常識では納得し難い内容があまりに多い。代表的事例が大学構内に大統領批判の壁新聞を張った青年に裁判所が有罪を言い渡したケースだ。裁判で警察が被害者として扱った大学職員は「被害を受けてはいない」「処罰を望まない」と証言した。青年には決定的に有利な証拠だった」

 

(5)「ところが、この重要証言は判決文には登場しない。判事は「青年が未明に壁新聞を張ろうとして建物に入ることを事前に知っていたならば許可しなかったはずだと被害者が認定した」と記した。「被害は受けていない」という明確な証言は無視し、ありもしない状況を仮定した誘導尋問の内容を有罪の証拠にしたのだ。大韓民国の民主主義の時計を第5共和国時代(1981~88年)に逆戻りさせる「強引な有罪判決」はそうして下された」

 

文政権批判のビラ貼りである。「忠犬ハチ公」ならぬ「忠文ハチ公」は、ここぞとばかり文政権へ忠義立てしている。

 

(6)「次に、「柳在洙(ユ・ジェス)釈放」判決だ。大統領を兄と呼んでいた柳在洙元釜山市副市長は公務員になってから知り合った業者4人に自ら持ちかけ、賄賂42000000ウォンを受け取った。ソウル・江南のマンションを購入すると言い、2億5000万ウォンを無利子で借り入れ、「相場が下がった」と言って一部を踏み倒した。減刑すべき理由はどこにもないのに、世にもまれな減刑論理が判決に登場した」

 

判決では、「柳氏は(業者に)季節ごとに父親が栽培したトウモロコシ、ジャガイモなどを送った」--。一方的に賄賂を受け取ったのではなく、作物を見返り与えたこともあるという意味だ。公職者と業者の不適切な癒着が「親交」ということにされてしまった、と記事は嘆いている。

 

韓国司法のこういう腐敗ぶりを見ると、開いた口が塞がらない思いだ。文大統領はこれにもかかわらず、韓国が民主主義国と胸を張っている。形は民主主義でも、中身は専制時代そのもの。この韓国が、「正義は我にあり」と反日運動をやっている。気の疲れる相手である。