a0960_008564_m
   


文政権と李朝の類似点

独の全体主義と関連性

独善主義が国を滅ぼす

韓国民間債務が危機へ

 

韓国は分裂社会である。保守派と進歩派に分かれて争っている。この両者は、永遠に交わることはないであろう。特に、進歩派が見る保守派は、敵対的勢力に映るようである。これでは、韓国社会が統合して大きな力を発揮できるはずがない。進歩派は、保守派=親日という位置づけである。韓国社会では、日本を巡る姿勢で「親日」「反日」と色分けし、不倶戴天の争いだ。

 

最近の事例では、朝鮮戦争で韓国を救ったペク将軍が戦前、日本軍将校であったという理由で、朝鮮戦争の偉功をすべて帳消しにし、ソウル国立墓地への埋葬を拒否するという徹底ぶりである。韓国政府は、こういう冷遇をして平然としている。それが、文政権支持者に報いる決定であるからだ。

 

韓国初代大統領の李承晩の没後55周年記念式で、政府代表の挨拶は「李承晩大統領」と呼んだのは冒頭の一回だけ。後は一貫して「博士」であった。この李承晩冷遇の理由も、「親日」である。親日派官僚を登用したのが理由だ。朝鮮総督府が瓦解して、韓国政府ができても、人脈は総督府系(親日)に頼らざるを得なかったであろう。文政権は、これを認めないのだ。抗日派を虐待したと見ている結果である。

 


文政権が、ここまで徹底的に「親日派排除」に動いている裏には、進歩派の支持者を増やす目的があるからだ。親日は悪であるという印象を刻印して、次期大統領も進歩派に引継ぎたいという思惑である。次期大統領が、保守派の帰り咲きとなれば、進歩派は恐慌を来たすであろう。文政権は、「積弊一掃」の名の下に前政権の主要関係者をことごとく獄窓へつないだからだ。

 

それだけに文政権は、次期政権が保守派になれば逆襲を食うと覚悟を決めている。それだけに、進歩派の支持基盤を徹底的に強化し、保守派撲滅が日常政治の目的となっている。ペク将軍を冷遇し、李承晩に対して「博士」という敬称に止め、「初代大統領」の称号を拒否する理由であろう。このように、できるだけ故人の功績を少なくするという対応は、過去の朝鮮李朝の対立抗争の流れをそっくり継いでいるようだ。

 

文政権と李朝の類似点

李氏朝鮮(1392年〜1910年)は、日本の室町時代から明治時代まで朝鮮半島を統治した王朝である。518年間続いた李朝の政治行動は、壮烈な派閥争いであった。本質的には「勲旧派」(大地主のヤンバン)と「士林派」(朱子学を修めた中小の地主のヤンバン)の二大派閥の争いであった。1576年以降は、「士林派」が「勲旧派」を駆逐して韓国朱子学が政治の実権を握った。道徳主義がことのほか強調され、自己の絶対優位を主張し、相手を罵倒する「敵・味方」論を広めた。以来、朝鮮は分裂の歴史を繰り返したのである。

 

李朝の歴史は、日本で言えば足利時代から明治時代までに相当する。日本はこの間、織田信長・豊臣秀吉の時代を経て徳川家による全国統一、さらに藩政奉還による明治維新へと幾多の変遷を経た。それだけ「歴史のヒダ」が幾重にも重なり、重厚味を加えたのだ。朝鮮の「単色政治」では、変わりようがなかったであろう。


文政権が、未だに「反日」「親日」と拘り、それを国内政治で反対派を抹殺する手段に使っているのは、李朝時代の「勲旧派」と「士林派」による派閥争いの再現である。現代風に言えば、「士林派」は進歩派であろう。「勲旧派」が保守派である。進歩派が、保守派を痛めつける手段は「親日排除=反日促進」である。35年間の日韓併合が、韓国を分裂させているのだ。

 

日本の目から見れば、韓国政治はその時代遅れに驚くことばかりである。政治意識の面で言えば、現在の韓国は日本の明治維新頃であろう。当時は、「藩閥政治」が全盛期であった。具体的には、薩摩・長州の出身者が明治新政府を担い、他藩出身者を排除されたのである。この状況と、現在の文政権はどこが違うだろうか。文政権は、労組と市民団体に支持されている。政策は、この二団体に有利になるような視点で選択されているのだ。(つづく)