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韓国政界は、与党が絶対多数を握って「我が世の春」を謳歌している。問題は、何一つないような振る舞いだ。だが、住宅価格急騰に見られるように、20回も不動産対策を打ちながら、そのたびに価格が上がるという「異常時」である。規制強化を図るだけだから、「先行き上昇期待」真理を強めるのだ。

 

このまま、韓国で理念空回りの政治を続けて行けば、韓国は確実に滅びるという意見が野党議員から出された。本欄は、すでにそういう視点で韓国を見ている。韓国野党議員が、遅まきながら悲観論に立ったのは当然のことであろう。

 

『韓国経済新聞』(8月6日付)は、「韓国野党議員、『韓国が滅びるとすれば教育のため、不動産よりさらに深刻』」と題する記事を掲載した。

 

7月30日、国会本会議「5分レジェンド発言」で注目された未来統合党のユン・ヒスク議員は5日、「不動産が現政権の最も大きい『失策』だとは思いません。国家体質の改善に必要な構造改革に関する議論が全くないのがさらに大きな問題です」と、「不動産政策の次に深刻な現政権の失策」に関する質問に意外な回答を出した。

 

(1)「ユン議員は国会議員会館で行ったインタビューで「慢性化している低成長問題の解決法になる労働、教育、規制改革など3つの事案に対して文在寅(ムン・ジェイン)政府は全く口を開いていない」と指摘した。特に、教育部門を言う時は「長期的に韓国が滅びるとすれば教育のため」としながら声を高めた」

 

韓国銀行(中央銀行)によれば、韓国の潜在成長率は2000年以降、5年間で1%ポイントずつ低下している。この事実に対して、文政権の出した回答は、最低賃金の大幅引き上げという「誤答」であった。3年間も、この間違いを続けたのだ。まさに、「理念の空回り」である。

 

ユン議員は、慢性化している低成長問題の解決法として、労働、教育、規制の3改革を上げている。労働改革・教育改革・規制改革は、現政権の下では不可能である。政権支持母体である労組と市民団体が承知するはずがないのだ。つまり、三大改革に反対するのは、現政権支持基盤である。よって、文政権とその後継政権が進歩派であれば、韓国は滅亡する運命である。

 

進歩派が、三大改革に反対なのは、既得権益を失うからである。仕事をしないで賃金を貰うことが、労組の最大目的になっている。それには、労働改革は不要である。労働改革を避けるには、規制改革を行なってはならない。規制を多くして、一見「国民を守る」ポーズが必要である。教育改革は、進取的な社会をつくるという合意を捨てて、「安心・安全」という誰にも受け入れられようにオブラートに包んで、国民の合意を取り付ける教育をすることだ。間違っても、「努力が報われる社会」などという競争を煽るような文言は禁句になる。

 

韓国の偽進歩主義は、3大改革をさせない口当たりの良い「宣伝文句」を探してくるだろう。文政権は、煽動政権である。中身は問わないのである。

 


(2)「ユン議員は、「盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府だけでなく、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)政府はいずれも経済体質を改善できる『改革アジェンダ』を前面に出した」とし、「成功の可否に対する評価は違うかもしれないが、低成長から抜け出せる解決法が構造改革という事実では共通点があった」と説明した。彼は「だが、この政府はこのような構造改革問題について完全に口を閉じている」として「まるで『韓国は構造改革をする必要がない国』と政府が規定しているようだ」と批判した」

 

文政権が、構造改革問題に触れないのは、改革を前提にするからだ。改革は、労組と市民団体にはタブーである。「楽をして賃金を得る」ことが最大目的の団体には不向きなのだ。文政権は、「供給面」に無関心である。「需要面」には最大の関心を寄せる。改革が不要であるからだ。

 

(3)「彼は最も重要な構造改革分野を尋ねた質問に「労働改革、教育改革、規制改革など3つ」と話した。ユン議員は崩れた公教育システムを例にあげて「かつて韓国の教育は全世界1位と競争すれば1位をとることはできなくても世界のビリと競えば1位はとれた」として「だが、今は1位同士で競争してもビリ、ビリ同士で競争してもビリ」と比喩した。教育水準が違う生徒たちがともに勉強する平準化教育システムは、開発時代に適合していたというのがユン議員の判断だ

 

韓国の教育システムを、平準化教育から個性化教育へ転換すべきとしている。学生の水準に合わせた「多様性教育」をしなければならないという主張である。これは、進歩派が「差別」

として反対するだろう。韓国の最大の欠陥は、政治信条で左右に分かれて対立し、妥協があり得ないという偏狭さにある。これは、民族特性ゆえに不可避であり、改革はあり得ないのだ。よって、対立しながら滅亡するのであろう。