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安倍晋三首相が退任した。韓国で「安倍晋三」と言えば、すこぶる評判が悪かった。「嫌韓」の総大将という扱いであったのだ。だが、安倍首相の世論調査では、退任発表後に支持率が15%ポイントも急上昇するという珍現象が起こった。振り返って見れば、「失われた20年」に決別し、失業率が大幅に下がって高度成長時代に戻る超完全雇用を実現させた。外交面でも、大きな足跡を残し日米関係は揺るぎないものになった。

 

韓国の文政権から見れば、いずれも垂涎の的である。韓国の高い失業率と米韓関係は揺らぎっぱなしだ。安倍政権のほうが、はるかに文政権を上回っている、という評価を下しても不思議はないのだ。

 

『朝鮮日報』(9月20日付)は、「文在寅時代を『安倍の鏡』に映して見る」と題するコラムを掲載した。筆者は、同紙の姜天錫(カン・チョンソク)論説顧問である。

 

韓国と日本が互いを忘れ去って3年半が過ぎた。関係が悪化したというよりも関係が断たれたというのが正確な表現かもしれない。韓国は日本を最もよく知る国が韓国だと思っている。長い歳月の間、飽きるほど多くの出来事を経験してきたからだ。日本に精通しているという自信感は日本の「安倍晋三現象」の前にもろくも崩壊する。安倍首相は韓国では最も嫌われる外国指導者だ。安倍時代の韓日関係は「日本国内の嫌韓」と「韓国国内の反日」という歯車がぶつかって回っていた。

 


(1)「安倍は憲政が導入された1889年以降で在任期間が最長の首相だ。2006年の第1次安倍政権の在任期間1年を合わせると、合計88カ月にも達する。日本国民はなぜ安倍首相に継続的な支持を寄せたのか。安倍の辞任直前の支持率は37%に低下した。しかし、3日後には劇的な反転が見られた。支持率が15ポイントも上昇し、安倍時代を肯定的にとらえる国民は74%に達した。次期総理を決める自民党総裁選では、「安倍政治の継承」を掲げる最側近の菅義偉前官房長官が半自動で勝利した。菅は韓日関係でも安倍路線を維持すると表明した。「安倍現象」と「安倍辞任以降の現象」は「我々が知らなかった日本の顔」だ。文在寅(ムン・ジェイン)政権の34カ月を「安倍の時代」と比較してみることが可能だ」

 

安倍首相が、通算で8年8ヶ月も日本政治を牽引した。日本政治史でトップである。それだけ、国民の支持を受けた証明である。

 


(2)「
安倍政治の基本は経済的成果をまず収めてこそ、政治的目標も達成できるという「回る政治」だ。安倍は政権初期の政治イベントをやめ、経済再生に全力を傾けた。当時日本は円高で輸出が阻まれ、株価が低迷し、失業率が高止まりし、日本人からは過去の自信感が消えていた。「3本の矢」で表現される経済政策が効果を発揮し、支持率が上昇すると、安倍は高い支持率を憲法が禁止する集団的自衛権の行使が合憲だとする憲法解釈を引き出す推進力として活用した。憲法を改正せずに改憲効果を上げた格好だ」

 

アベノミクスで、日本経済は蘇った。物価上昇率2%を示現できなかったから、「アベノミクスは失敗」という難癖をつける向きもあるが、雇用改善は世界一の実績を上げた。定年も70歳に引上げ、働きたい人は70歳まで働ける環境を整えた。日本人独特の勤労観は、「元気な内は働きたい」のである。

 

日本の集団的自衛権は、韓国から「戦争する国」と悪評を被ったが、同盟国による集団的自衛権こそ日本の進むべき道である。揺るぎない日米同盟が、日本の国格を高めるのだ。最近の中国が日本を畏敬するのは、日米同盟があるからだ。

 

(3)「安倍外交は対米関係が本論であり、他の外交は付録だという要点主義だ。米国とは適当に距離を置き、中国には接近することを核心とする民主党政権の雲をつかむような「東北アジア共同体構想」とは正反対だ。民主党政権の米国との「距離外交」は安全保障上の対立に加え、輸出の足かせとなる円高圧力を生み、領土問題を巡り、中国と武力衝突直前の事態に追い込まれ、ロシアとの北方領土返還交渉は玄関の敷居を超えられずに空転した。李明博(イ・ミョンバク)大統領が独島を訪れたのはそのころだった。日本の政治家だけでなく、日本国民も独島訪問を対米外交という礎が揺らいだことによる副作用の一つだと認識している」

 

日本は、領土問題で中国と韓国から侮りを受けたが、日米関係が揺らいでいた時だ。歴史上、日本がもっとも幸せな時期は、日米関係が充実していた時である。これは、歴史的な教訓として忘れてはいけない。

 


(4)「安倍の対米偏重外交はそうした事態に対する安倍流の解決策だった。外交の逆説はそうした偏重外交が中国との関係をむしろ安定させたことだ。日本が中国に対する幻想から覚めると、中国も日本を米国の垣根から引っ張り出そうと期待しないようになり、相互の利益を得ようとする実務外交に転換した。安倍時代の幕が下りると、財界は「対米外交の成功が経済の後ろ盾になった」と言い、相対する労働界も「一定の成果があった」と評した。安倍政治は見かけよりも簡単な政治ではなかったことを示している」

 

日米偏重外交と批判されるが、そのことによって他の外交も上手くいくのだ。韓国のように、米国との関係を薄めようという傾向は逆である。これは、韓国が学ぶべき教訓であろう。

 

(5)「安倍は閣議で発言を控えていたという。相反する立場による活発な討論を促した後、最終的に成功可能性が高い政策に賛成した。安倍時代は「成功した機会主義の時代」と言ってよい。民生を安定させられないままで扇動的な政治スローガンに頼ることや、外交の礎が揺らぐ中で安全保障の強化を期待することが愚かだという事実を気づかせるものであれば、そうした機会主義を一度振り返ってみても損はないだろう。

 

安倍氏は、閣議であまり意見を言わずに聞いていたという。文大統領は、逆である。他人の意見を聞かず、「独演会」である。議員内閣制と大統領制の違いと言えばそれまでだが、他人の意見を聞かない文政権は、異質である。