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統帥権移管要求はトリック

北は生命共同体を拒否する

金正恩は韓国を信用しない

米は文政権の欺瞞性見抜く

 

韓国文政権は、南北統一を目指した「世紀の離れ技」を狙っているように見える。「まさか」と思われるだろうが、文政権登場以来の北朝鮮への接近ぶりは、すでに外濠を埋め、次は内堀を埋める準備に取りかかっている。

 

それは、韓国軍の「主敵」が従来、北朝鮮と明確に規定されていた。文政権は、すでにこの主敵を書き換えたのである。北朝鮮を削除して、「周辺国」を主敵にしたのだ。非公式では、日本が主敵の位置になっている。一昨年12月、日本海で偵察任務に就いていた日本の自衛隊哨戒機が突然、韓国艦から攻撃用レーダー照射を受けた事件が発生した。これは、日本が韓国の「主敵」という位置づけになっている結果である。文政権は、韓国軍の主敵をこのように180度変えることに成功した。

 

統帥権移管要求はトリック

問題は、このことが韓国にいかなる「運命」をもたらすかという点である。文政権は現在、文大統領の任期である2022年5月までに、韓国軍の作戦指揮権(統帥権)を在韓米軍から取り戻す交渉を始めている。一見、ごく自然の要求のように見えるものの、これには巧妙な仕掛けがされている。

 

北朝鮮軍が38度戦を超えて侵入してきても、韓国軍の主敵は北朝鮮でない以上、韓国が統帥権を握っていれば韓国軍の出動命令が出されず、北朝鮮によって韓国占領が可能になるのだ。これほど、統帥権問題は韓国の運命を左右する重大な案件である。在韓米軍は、韓国文政権の不純な意図を察知しているのか、統帥権問題には拒否反応を見せている。

 


北朝鮮が、先の軍事パレードでICBM(大陸間弾道ミサイル)などを展示したことから、米国の警戒観は強まっている。韓国が、この段階で統帥権を持ち出していることと重ね合わせて、韓国の動きを一段と詳細に分析している。

 

文大統領は9月22日の国連演説で、持論の朝鮮戦争終結宣言を出すように主張した。北朝鮮が核放棄をしない段階で、朝鮮戦争終結宣言が出れば北の核保有を認めたのも同然のことになろう。これまで、核放棄を約束しながら実行しなかった北朝鮮が、朝鮮戦争終結宣言を悪用するのは自明のこと。あまりにも迂闊な話である。

 

これについて、在米韓国大使は次のように説明している。

 

「終戦宣言はそれ自体が目的ではなく、停戦協定に代わるものでもなく、停戦協定を破棄するのとは性格が異なるとし、単なる政治的宣言」である。この説明によれば、終戦宣言を出して、米朝交渉を円滑に進めようというに過ぎないとしている。だが、これほど実質的な意味のない宣言もないだろう。北朝鮮が、核製造を続けている一方で、米韓が終戦宣言をすることは、外交交渉であり得ない愚策である。文氏が、本気でこの終戦宣言に拘っているとすれば、大統領としての役割を放棄した無責任な態度だ。空想家と呼ぶべきである。

北は生命共同体を拒否する

文大統領は先の国連演説で、「南と北は『生命共同体』」だとして「防疫と保健の協力は、韓半島の平和を実現する過程においても対話と協力の端緒になるだろう」とした。文氏は、南北が「生命共同体」と表現している。言葉としては美しいが、北朝鮮にそのような意識がゼロである。韓国の公務員が、海上で漂流しているにも関わらず救助せず射殺された。また、過去には韓国観光客が北朝鮮海岸で射殺される事件も起こった。朝鮮同胞に対して、これほどまでに無慈悲な扱いをする北朝鮮に、韓国への「生命共同体」意識はないのだ。

 

北朝鮮は、国内で韓国への恐怖感を植え付け、北朝鮮の団結を高めることが先決だ。仮に、北朝鮮全体が南北融和ムードになれば、これまで行われた弾圧への恨みが噴出して、北朝鮮統治は困難になるはずである。金ファミリーの揺るぎない統治を続けるには、韓国と軍事的緊張感が必要である。文政権は、こういう分析を抜きにして「生命共同体」という美辞麗句で飾り、北朝鮮の本質=どう猛性を隠蔽している。

 


韓国の盲目的な「北朝鮮愛」が、北朝鮮の真相から目を逸らさせている。文大統領の「生命共同体」という言葉が意味するように、極めて情緒的である。同じ親から生まれた兄弟姉妹という感覚である。私はこの言葉の中に、文在寅氏の「北朝鮮愛」の原点を見る思いがする。それは、文氏の両親が北朝鮮出身であり、米軍の北朝鮮撤退の際、米艦で韓国へ避難した結果、韓国で永住し文氏が生まれたのである。文氏の祖先は、北朝鮮を墳墓の地としている。

 

いつだったか、文氏が彼岸で両親の墓参りに行った際の遠景写真が掲載されたことがある。文氏が一人で遠い空を眺めている構図である。そこには、両親の墓をいずれ北朝鮮の祖先の墓へ返したいという思いが伝わってきたのである。そういう人間的な自然な感情を否定する積もりはない。だが、南北の「生命共同体」は北朝鮮によって拒否されているのだ。文氏は、個人的な思いを優先して南北問題を扱う危険性に目覚めるべきである。(つづく)