テイカカズラ
   

中国の王毅外相は、外交官には似つかわしくない言動をする。韓国訪問中、韓国外相との会談に27分遅刻した。大統領との握手では、コロナを理由に躊躇する仕草を見せるなど、韓国メディアを怒らせている。王毅氏は、8月に訪欧した際もチェコに対して侮辱発言し、独仏外相からたしなめられたほど。大国・中国の外相として、ふんぞり返っているようだ。

 

韓国で最大の発行部数を誇る『朝鮮日報』が、下記のように辛辣な社説を掲げた。王毅外相は、27日も韓国に滞在する。当然、この社説が目に入るはず。少しは、反省することになるだろうか。

 

『朝鮮日報』(11月27日付)は、「中国で序列25位以下の王毅外相、韓国に来れば国家元首クラス」と題する社説を掲載した。

 

中国の王毅・国務委員兼外相が26日、韓国外交部(省に相当)の康京和(カン・ギョンファ)長官との会談に24分遅刻した。外交部庁舎から4~5キロしか離れていないホテルから出発したにもかかわらず、「交通渋滞」を口実にした。会談の冒頭では謝罪の一言もなく、昼食会になってやっと理解を求めたという。

 


(1)「会談直後、「米中対立」について問う質問に王毅外相は「この世界には米国だけが存在するわけではない」と述べた。米国の同盟国である韓国に来て「米国の側に立つな」と圧力をかけたのだ。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が握手を求めると、「コロナ防疫を理由に予定にはなかった儀典」との理由でぐずついた。昨年12月に来韓した際には、韓国側の関係者100人を突然昼食会に呼びつけておきながら37分遅刻した。謝罪もなかった。その一方で王毅外相は米国務長官が30分遅刻した際には、謝罪を受けても顔を赤らめたような人物だ」

 

王毅外相は、日本の創価大学に留学している。日本語はべらべらである。ただ、顔つきからも分かるように、「柔和」ではない。顔が表わすように「不作法」なことも多いのだ。外交官として、遅刻することがどれだけ、礼儀に反するかは百も承知のはず。今回は、事前に遅れると連絡があったという。だからと言って、許されるはずはない。この不作法は、発言にも現れている。中国が、米国と対等の関係と思い上がっている。米中の実力は、月とスッポンである。その違いが分からないのだ。

 


(2)「王毅外相の中国共産党における序列は25位以下だ。政治局員でもない中央委員だ。それでも韓国に滞在する期間、大韓民国において序列1位の大統領、2位の国会議長、さらには元与党代表、大統領特別補佐官や側近などに次々と会う。自家隔離中の与党代表は「コロナの渦中における来韓に大きく感動した」という手紙を送った。ある長官は会談に応じてさえもらえなかった。これとは別に序列がより高い中国の楊潔チ・外交政治局員は今年8月に来韓した際、文大統領に会いに行くこともなく、ソウルではない釜山で青瓦台(韓国大統領府)安保室長だけに会って帰国した。このあり得ない動きに韓国も中国も今なお一言の説明もしていない」

 

王毅外相の中国共産党における序列は25位以下だ。政治局員でもない中央委員だ。社説では、中国国内での地位の低さを指摘している。その王毅氏が、トップのような振る舞いだと怒らせている。韓国儒教は、中国よりも「正統」であると自認している。それだけに、礼儀作法に厳しい面があるのだ。座らせた椅子が、相手より小さいかどうか。詮索するのは、礼儀作法に厳しい結果である。

 

その韓国が、日本に対しては不作法の連続である。「化外」(けがい)という言葉の通り、儒教では中国から地理的に遠くなるほど「野蛮」とされている。この論法で、韓国における日本の位置は「野蛮国」扱いである。このように韓国は、中国以上に儒教理念が生きているのだ。

 


(3)「中国は周辺国と平等な立場に基づいた外交をしてきた歴史がない。常に朝貢外交だけだった。このような国を相手にする際、軽々しく頭を下げるとその後も無視され続ける。ところが韓国政府は中国が文大統領の特使を香港行政長官の席に座らせても、大統領の取材記者が激しく集団暴行を受けても、さらには王毅外相が大統領の腕をたたいても一言の抗議さえしなかった。コロナの感染が一気に拡大していた当時も中国からの入国は一切制限せず、また中国が6・25南侵(注:朝鮮戦争)を歪曲(わいきょく)しても沈黙した。中国を前にすると「猫の前のねずみ」だ。世界10位圏の民主国家の国民にこれ以上恥ずかしい思いをさせないでほしいものだ」

 

中国は、秦の始皇帝以来、世界の中心という意識である。始皇帝が、国名を中国と名付けたのも「世界の中心」という意味である。こういう尊大な国には、現実の厳しさをしっかりと認識させることが重要である。間違っても、卑屈になって対応してはいけないのだ。駄目なことはダメ、とはっきり言うべきである。その点で、韓国はあまりにも卑屈になっている。