a1370_000550_m
   


韓国進歩派は、こぞって日本を喜怒哀楽の対象にしている。世界は広いのだ。日本だけを目の敵にしないで、もっと広い視野から日本を眺めたらどうだろうか。

 

韓国の政権支持メディア『ハンギョレ新聞』(1月16日付)は、「韓日関係に地殻変動が起きている」と題する記事を掲載した。その中で、「韓日逆転の時代が来た」とはしゃいでいる。ノーベル科学賞を一人も取っていない国が、大言壮語しているのは可笑しくもあり気の毒にも思う。そこまで、反日に走る度量の狭さに呆れながら、中国では日本を違った視点で見ているケースを伝えたい。

 

『サーチナ』(1月4日付)は、「この国も あの国も? 中国人が知らなかった「世界の親日国」と題する記事を掲載した。

 

日本に対して複雑な感情を抱く人が多い中国。現在、反日感情は落ち着いているものの、領土や歴史などの対立が激化すると、反日感情も一気に噴出するということを繰り返してきた。だが、世界的に見ると反日国は少数派であり、むしろ親日国が少なからず存在する。中国メディア『百家号』はこのほど、「中国人が知らなかった8つの親日国」を紹介する記事を掲載した。



(1)「記事が紹介した最初の国は「モンゴル」だ。モンゴル出身の力士が日本で活躍しているのは大きいようだと紹介、さらに日本によるODAへの感謝もあるのだろうと推測している。だが、中国にはこの手の感謝が全くないのは興味深いところだ。ちなみに、モンゴルにおける対中感情は非常に悪い」

 

モンゴルの日本贔屓は、大相撲力士が日本で大活躍していることを反映している。ODA(政府開発援助)による無償援助や、有償援助でも超低利・長期返済など全く負担にならないように支援していることが大きな理由であろう。

 

中国は、過去の日本によるODA支援(3兆円超)で最高額に達しているが、その実情を一切、公表せずにきた。唯一、胡錦濤国家主席は訪日の際に日本国民へ謝辞を述べたが、中国ではカットされ放送されなかった。中国の復興は、すべて中国共産党が自力で行ったと宣伝しているためである。

 


(2)「2カ国目は、「インドネシア」だ。技能実習生が多いことと、日本のおかげで独立できた歴史によるところが大きいと分析した」

 

日本は、太平洋戦争で大きな被害を与えたので、ODAで手厚い支援をした。これが、日本への感情を和らげたもの。日本企業の進出も最も早かった。インドネシアは、ASEAN(東南アジア諸国連合)のリーダー国である。

 

(3)「3カ国目は「パラオ」で、日本語が残っていて、「国旗まで日本を真似ている」と驚いている様子だ」

 

パラオは、第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、日本の委任統治領になった。パラオは周辺諸島の中核的な島となり、多くの日本人が移住した。日本の統治が始まってからは、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病院、道路など各種インフラストラクチャーの整備、貨幣経済への移行が重点的に行われた。この当時の記憶が、今も親日国感情となっているのであろう。

 


(4)「4カ国目は「ポーランド」。ロシア革命の混乱期、極寒のシベリアに取り残された765人の孤児を、日本だけが助けたと紹介した」

 

日本は第一次世界大戦後、765人のやせ細ったポーランド人孤児をシベリアから助けて日本へ移送し休養させたあと、日本の船舶でポーランドへ送りとどけた話である。ヨーロッパでは、どこの国も救出に協力しなかった中で、アジアの日本が単独で救出に動いた。ポーランドの人たちは、日本の善意に深謝して、ポーランドの日本大使館とずっと友誼関係を維持してきた。1995年の阪神・淡路大震災の際は、震災孤児の代表をポーランドに招待し、励ましてくれたというエピソードが残っている。

 

(5)「5カ国目には「フィンランド」を紹介。当時国際連盟の事務次長だった新渡戸稲造が、フィンランドに平和をもたらした手腕と功績を忘れていないという」

 

1921年、国際連盟の事務次官であった新渡戸稲造を中心として、オーランドのフィンランドへの帰属を認め、その条件としてオーランドの更なる自治権の確約を求めたいわゆる「新渡戸裁定」が示された。これらは、両国(フィンランドとスウェーデン)政府の具体化作業と国際連盟の承認の後、1922年にフィンランドの国内法(自治確約法)として成立し、オーランドの自治が確立した。オーランドは現在、フィンランド政府によってスウェーデンへの復帰を認められている。ちょうど100年前、新渡戸稲造による平和裁定を、今も評価してくれているのだ。



(6)「6カ国目は「北マケドニア」。建物の大部分が倒壊した大震災で、再建に来てくれたのが日本人建築家・丹下健三氏だったためだという」

 

1963年、スコピエ大震災が発生し、死者1100人を出すという大惨事になった。その再建に丹下健三が力を貸してくれたというのである。当時は、「世界の丹下」として売り出す初期であり、斬新なアイデアを提供したのであろう。丹下の「業績一覧」にはその記載がない。

 

(7)「7カ国目は、日系人の多い「ブラジル」である」

 

ブラジルは、日本移民最大の受け入れ国である。1908年6月、日本からの本格的移民が始まった。1950年代、日本政府後援による移民が停止されるまで、ブラジルに渡った日本人移民の子孫は5世、6世の世代になり、海外で最大の日系人社会(約150万人)を持つなど、ブラジル社会に完全に溶け込んでいる。

 


(8)「8カ国目にはエルトゥールル号遭難事件で日本に乗員を助けてもらった「トルコ」を挙げている」

1890年(明治23年)、和歌山県串本町沖で発生した軍艦「エルトゥールル号」遭難事故(587人の犠牲者)で付近魚民が積極的な救援活動を行った。エルトゥールル号は、日本を訪問しての帰途、台風に遭遇した事故であった。日本の心温まる救援活動が、トルコから感謝された両国の友好関係が築かれた。日本には多くのトルコ友好協会があり、交流が積極的に行われている。


(9)「これらの国が昔の出来事を忘れておらず、今も親日感情を抱いてくれているというのは心温まるものがある。こうした国々で親日感情が今後も続くよう、良好な関係を維持していきたいところだ」

 

中国メディアが、こういう事例を挙げてくれなければ、日本も忘れ去るような話もあろう。人間、互いに誠意を込めて対応すれば、どれだけ時間が経ってもこうして、心のつながりは続く良い例を示してくれた。感謝したい。