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『ハンギョレ新聞』は、文在寅(ムン・ジェイ)政権の強力支援メディアである。ユン前検事総長排斥では、先頭に立って論陣を張り検察改革を主導した。そのハンギョレ新聞は、与党「共に民主党」若手議員が、先の2大市長選挙の惨敗を受けて、党幹部や文大統領批判を始めると、それに賛同するような報道をしている。何と「日和見主義」か。自らの責任を忘れた風見鶏メディアである。

 

『ハンギョレ新聞』(4月12日付)は、「反省文を書く韓国与党 国民と党の距離を縮めなければ『未来』はない」と題する記事を掲載した。

 

4月7日の再・補欠選挙の惨敗の責任をめぐり、与党共に民主党の議員と党員の対立が爆発している。議員たちは、文在寅大統領と党指導部が、これまで検察改革に過度にこだわり民間経済を疎かにしたために選挙で負けたと、連日反省文を書いている。党員たちは、検察改革の局面で保身を図った議員が、選挙敗北にかこつけて“内部射撃”を始めたと糾弾している。

 


(1)「衝突の直接的な原因は路線の違いとみられる。それが全部だろうか。そうではない。本質は政党構造の変化にある。党指導部と国会議員が持つ政党の主導権が党員に移ったからだ。少し説明が必要だ。これまで韓国の政党の主人は総裁だった。政党を作ったり、他の政党と統合し政党をなくしたりした。公認選びと政治資金で党内の権力を独占した。総裁が死ねば政党も消えた。イ・フェチャンのハンナラ党までそうだった」

 

過去の政党は、総裁が党をまとめてきた。現在は、次のパラグラフにあるように、「党員」が党運営の決定権を持つシステムになったという。当然の話に思うのだが。

 

(2)「現在の政党には、総裁という役職そのものがない。それならば政党の主人は誰だろうか。党員だ。政党により少し違いはある。野党「国民の力」は、まだ党員に全ての権力を渡してはいないようだ。しかし、共に民主党と正義党の主人は確実に党員だ。党員が指導部を選び、公職選挙の候補を選出し政治資金を配る。重要な意思決定も党員が行う。共に民主党は、昨年の総選挙を控え、衛星政党である共に市民党の立党の可否、ソウル市長と釜山市長の公認出馬の可否など重要な決定の過程で党員の意志を問い、それに従った」

 

与党「共に民主党」も、党員が最終決定権を持つシステムであるが、空洞化していたと指摘している。

 


(3)「権限の行使には責任がともなう。総裁が主人であるなら、選挙敗北の責任は総裁が負えばよい。党員が主人であるなら、どうすればよいだろうか。党員が、討論と論争を経て集団知性を発揮して困難を克服し、方向を修正していくしかない。共に民主党の議員が、党心(党の理念)よりも民心(国民感情)を強く意識するのは、むしろ当然のことだ。選挙で多数を確保できなければ野党に転落するからだ。共に民主党の議員には、来年39日の大統領選挙と61日の地方選挙で敗れ、さらに先の2024年の国会議員総選挙で自分が落選するのではという恐怖がある」

 

下線部のように、与党議員は「党心」よりも「民心」を重視しなければ、次の選挙で落選する。民心に敏感にならざるを得ない事情にある。ならば、これまでなぜ世論調査に現れている「民心」を無視してきたのか。選挙結果で示されなければ、目が覚めないという「議員特権心理」に浸っていた結果であろう。

 


(4)「一方で政党の主人である党員が、党の中心的な価値と政策路線を守らなければならないと党所属の国会議員に要求するのも当然なことだ。政党は、政権を獲得する組織であると同時に、価値と政策を実現するための組織であるからだ。共に民主党の党員たちが特に強い改革指向を持つようになったのには経緯がある。2015~2016年にアン・チョルス元代表が文在寅代表と対立し離党する姿を見て怒った支持者たちが、大挙して共に民主党に入党した。彼らはろうそく革命の主役であり、共に民主党の大統領選候補の予備選挙や大統領選挙の過程で文在寅大統領と共に民主党を堅固に守り抜いた。民主党の本当の主人だ」

 

党員が、共に民主党の主人である以上、党の掲げる価値と政策を指向するのは当然である。だが、議員は国民一般の支持を得なければ、落選する危険を背負っている。となると、議員は党員と国民世論の板挟みになる。最終的には、国民世論に従わざるを得ないシステムなのだ。換言すれば、党員よりも国民の意思を選択するほかない。現在の与党内紛は、こういうジレンマを表わしている。

 


(5)「共に民主党の国会議員を務めた「ザ未来研究所」のキム・ギシク所長は8日、KBSに出演し、次のような意見を述べた。「現在の共に民主党が直面するもう一つの危機は、党の理念と国民感情との間のずれが大きくなったということだ。党の情熱的な支持者は、検察改革などをさらに推し進めるよう要求する。国民感情としては、検察改革もよいが、生活の問題が今大変で死にそうなのに、なぜ自分たちの課題にばかりこだわり、国政を無理に運営するのかという世論が強い」。「少し抽象的ではあるが、今後の共に民主党の最も重要な課題は、党の理念と国民感情の間のずれをどう統合させていくのかだろう」

 

このパラグラフは、極めて重要な視点を上げている。党の理念は、国民感情から遊離してはならないことである。国民は、検察改革よりも国民生活の改善を求めていた。文政権は、この世論を見誤り、検察改革によって政権犯罪を隠蔽することを最優先課題とした。『ハンギョレ新聞』も、この片棒を担いでユン・前検事総長排斥に血眼になっていた。反省すべきは、文大統領とハンギョレ新聞である。