習近平国家主席は夜、独りになったとき何を考えているだろうか。頻繁に人事権を発動しているからだ。市場は、予測不可能という事態を最も嫌う。この習性から言えば、中国は投資対象ではない。
『ブルームバーグ』(9月21日付)は、「中国の不安定化巡り懸念強まる、相次ぐ高官更迭ー習氏が自ら抜てきも」と題する記事を掲載した。
中国の習近平国家主席が昨年の共産党大会で最高指導部に側近を登用した後、習氏の新たなチームによって同国の大きな課題への取り組みがより円滑に進むと、一部の中国ウオッチャーは期待していた。
(1)「習政権は混乱の様相を呈している。習氏は7月に秦剛氏を外相から突然解任し、その約2カ月後には李尚福国防相の更迭が報じられた。さらに習氏は、核兵器を管理する人民解放軍ロケット軍の指導部も何の説明もなく刷新。外部から見て中国は不安定化しつつあるようにも思える。ほとんどのアナリストは、毛沢東初代国家主席以来、最も強力な指導者となった習氏への脅威はないと考えているが、同氏の政権運営スタイルについて疑念が浮上している」
習氏が、頻繁に人事を発動しているのは不安の表れであろう。自らつくった政敵が、いつ対抗してくるか。そういう懸念もあるのだろう。だから、少しでも気になれば解任にするに違いない。
(2)「ローウィー研究所(シドニー)の上級研究員で、「中国共産党 支配者たちの秘密の世界」を執筆したリチャード・マクレガー氏は、中国で高官の更迭がこれほど多いのは1980年代の改革期以来で、習近平体制の「不透明さと残忍さ」を露呈していると指摘。「失脚したのは習氏自身が抜てきした人物だ」と説明した。こうした混乱は投資家や各国政府を驚かせ、ハイテクや教育などの部門に対する何年もの厳しい締め付けを経て、中国への投資は安全だと説得を図る政府の取り組みを台無しにしている」
1980年代の改革期以来で、中国で高官の更迭がこれほど多いのは初めてという。中国は肝心の経済が不調である。これが、あちこちに波及して不満と不安を広げているのだ。外国人投資家としては、最も警戒すべきシグナルになる。
(3)「ロンドンに本拠を置く中国専門の調査会社エノド・エコノミクスのチーフエコノミスト、ダイアナ・チョイレバ氏は、「『宮廷政治』が中国の差し迫った経済問題への取り組みから習氏を遠ざけているのではないかと投資家は懸念している」と述べた。在上海米国商工会議所の最近の調査によると、中国に進出している米欧企業は同国でのビジネスについて、過去数十年で最も悲観的な見通しを示しており、その主な理由は地政学的リスクだ。欧米諸国との対立長期化に中国経済の減速が重なり、中国株式・債券市場では2021年12月のピークから今年6月末までに1880億ドル(約27兆9000億円)もの資金が流出。グローバルポートフォリオにおける中国市場の影響力は低下している」
「宮廷政治」とは、皇帝一人が決める政治である。習氏の気の向くままに、頻繁な人事交代に現れているとすれば、腰を据えた経済対策など打てる余裕があるはずでない。習氏に献策できる人物がもはや存在しない以上、習氏には迷いが生まれるのであろう。
(4)「プライベートエクイティー(未公開株、PE)投資会社、開源資本のブロック・シルバーズ最高投資責任者(CIO)は「投資家の信頼にはシステムの安定が必要だ。説明なしの突然の人事交代や政策変更は市場の不安を増大させるだけだ」と指摘した。秦氏の外相在任期間はわずか7カ月で、中国の外相としては歴代で最も短命だった」
投資家の信頼には、システムの安定が必要という。システムの安定とは、ルールの確立である。これによって「不確実性」が消えるのだ。中国には、この「システム安定」が消えている以上、中国は投資対象でなくなっている。
(5)「習氏は、政府高官に対する不信感を強め、内政運営を細かく管理しようとし、体制はまひする兆しを見せている。北京在勤のある外国人エグゼクティブは、誰もが習氏を恐れ、互いに孤立していると匿名で語った。米当局者は、李国防相が既に解任されたとの情報を得ている。中国は李氏の立場について公式にコメントしていないものの、7月に同氏がかつて率いていた軍備調達部門を巡り過去にさかのぼっての調査を発表した」
中国において突然の高官罷免は、暗黒ムードをかき立てている。政治の陰湿化は、経済の不安定化を招く。中国は今、最悪の状況下に置かれている。
(6)「アジア・ソサエティー政策研究所の中国分析センターで中国政治を研究するニール・トーマス氏はブルームバーグテレビジョンで、「審査プロセスの欠陥を示している」としながらも、「習氏の権力基盤は選挙で支持を獲得することではなく、指導部の主要人事をコントロールすることにある」と分析した」
習氏は、周辺に恐怖感を与えて統治しようとしている。それには、人事権を振るうことが最大の武器となる。となれば、習氏は意図して行っていることになろう。