8月12日は、日中国交40年の記念日だ。これを契機に、中国側に日中で「第5の文書交換」案が出ているという。その必要性はあるだろうか。
復交当初の燃えるような「日中新時代」への期待は、もはや消えてしまった。度重なる中国の日本への「裏切り」は、中国の本質をさらけ出したからだ。日本を批判する暴言の数々。凄まじいものだった。あれを思い出しただけで、中国が胸襟を開いて話せる相手でないことを知った。住む世界が違うのだ。
日本は今、中国からの訪日客で賑わっている。ありがたいことに、中国人観光客は、日本を絶賛してくれる。旅先国、歓待されている国、SNSで取り上げる旅行先国の3点で、日本は1位という。国民レベルでは、世界覇権論などという馬鹿げた話は出ないからスムースそのもの。戦前の日本が行なった侵略戦争にも素直に謝罪できる。だが、政治が絡むと思惑が先行する。中国は、日本を利用しようという立場が前面に出てくるからだ。
中国外務省には現在、「日本課」が存在しない。この一事を以てしても対日外交は、「その他大勢」扱いになっている。日本課を廃止した理由は、中国にとって対米外交が最優先という戦略であった。米中二国が世界の重要なことを決める時代である。もはや、日本を大事にする必要はない。こういう思惑であったはずだ。
それが、大きな転換点に立っている。米中は貿易戦争と言われるほど険悪だ。米国は、中国を「仮想敵」にして警戒を強めている。中国の対米投資を制限する。中国留学生のビザ発給を絞る。こいう状況へ追い込まれた中国は、一度捨てた「日本カード」を利用するメリットを感じ始めた。これが、「日中の第5の文書」案の動機であろう。
これほど便宜的な中国と「日中の第5の文書」を交わす意義があるだろうか。
『日本経済新聞』(8月12日付)は、「中国、第5の日中文書検討、新たな関係の針路に」と題する記事を掲載した。
(1)「日中平和友好条約が8月12日、締結から40年を迎えた。これに合わせ中国の習近平(シー・ジンピン)指導部が、新たな日中関係を定める「第5の政治文書」について内部で検討を始めたことがわかった。日中関係を安定させ中国主導の国際秩序へ日本を引き込む狙いだが、賛否両論がある。当面は水面下で議論を重ねて日本側の出方を探る構えだ。複数の中国共産党関係者が明らかにした。日中両国は国交正常化を確認した日中共同声明、日中平和友好条約など4つの文書を交わしており、新文書が実現すれば5つ目となる。平和条約締結40年にあたる18年に検討を進め、条件が整えば19年の習氏の訪日時に合意する日程を想定する」
中国はことあるごとに、過去の「4つの文書と4つの原則」を持出して、日本を諭すような上から目線の姿勢を見せる。そのたびに、不愉快千万な思いにさせられるのだ。この上、さらに「第5の文書」ができたらどうなるか。願い下げにしたい。文書などなくても、相手国を誹謗したりしなければ外交関係は上手く行くもの。文書を交わすと、それが日本外交を縛る危険性が高まるのだ
(2)「関係者によると、党内の議論は今年6月ごろに始まった。習指導部は対米関係の緊張を受け、日本を含む周辺国との関係改善に乗り出している。新文書の検討も、この流れで決まったもようだ。推進派は中国が主導する経済圏構想『一帯一路』や習氏が掲げる外交思想『人類運命共同体』などの概念を新文書に書き込み、日中協力の新たな方向性を示すと主張。慎重派は12年以降に対立が激化した沖縄県尖閣諸島をめぐる問題の扱いが困難とし、無理に作成する必要は無いとの立場だ。関係者は「結論は出ておらず、最終的に見送る可能性もある」と語る」。
「第5の文書」推進派は、随分と身勝手は要求を出している。すなわち、「一帯一路」と「人類運命共同体」を文書に入れる構想だ。日本がこれに同意することは、中国の世界戦略の一環として働くことを宣言するようなもの。日米外交が軋むことは明らかだ。日米は同盟国である。そこへひび割れをもたらすような「中国寄り構想」を受け入れるはずがない。だいたい、こういう厚かましい案を持出すこと自体、外交常識を欠いている。
中国が日本へ接近している本音は、米中対立がもたらす「世界の孤児」を回避したいだけだ。日本を格下に見ているからこそ、「一帯一路」と「人類運命共同体」の文言を持出してくる。こういう傲慢な中国と文書など交わしたら、日本外交の自殺行為となろう。危険きわまりない。絶対にやってはいけない話だ。