「反日不買運動」真っ只中の韓国で、『反日種族主義』という名の親日書が出版され、大騒ぎになっている。すでに10万部近いベストセラーという。反日派にとっては、大変に目障りな書物の出版である。それでも、韓国人は手にして読んでいる。
内容は、次のようなものだという。
1)日帝は朝鮮を収奪しなかった
2)強制徴用はなかった
3)日本軍「慰安婦」らは性奴隷でなかった」
私はこの書籍を見ていないので、何も語る資格はない。ただ、朝鮮近代化論という視点では、反日や親日を超えた経済史のファクトに基づいて論じることは許されよう。文政権支持メディアの『ハンギョレ新聞』は、「反日」の立場からこの著書を批判する論評を掲載した。それへの私の反論である。
『ハンギョレ新聞』(9月1日付)は、「植民地近代化論は『不都合な真実』でなく『不都合な虚構』だ」とする寄稿を掲載した。筆者は、ホ・スヨル忠南大学経済学科名誉教授である。
(1)「植民地近代化論は、社会的イシューになるたびに世論で一斉に叩かれたが、忘れた頃には必ず飛び出してくるようだ。ハン・スンジョ元高麗大学教授(政治学)が、「親日行為がすなわち反民族行為か?」という寄稿を日本の雑誌に載せ、韓国が沸きかえったことがある。(今回、)植民地近代化論を主張する学者が書いた『反日種族主義』もまた同じだ。それにもかかわらず、植民地近代化論者などは臆するところがない。それは“不都合な真実”かもしれないが“客観的事実”であるためだということだ。そのため学者的良心からそのように言うほかはないということだ。ハン・スンジョ教授は、韓国の代表的政治学者のひとりであったし、『反日種族主義』の著者も高い学問的水準を持っている学者(注:ソウル大教授)だ。彼らは自分の主張を裏付ける論拠を持って主張しているのであって、感傷的に主張しているのではない」
専制主義体制下にあり、近代にほど遠かった朝鮮が、政治・経済・教育・司法などあらゆる点で近代化路線に乗ったのは、日韓併合によるもので歴史的事実だ。韓国は、この歴史を素直に認めないところから、日韓外交の軋轢がここから始まっている。なぜ、この事実を認めるのが韓国にとって屈辱なのか。
日本は、敗戦で民主主義国家に転換した。ここに至るまでに、太平洋戦争という貴い犠牲があった。日本で、この現実を否定する者は少ないだろう。韓国が、日韓併合がもたらした近代化過程をなぜ否定するのか。その方が、むしろ不自然なのだ。
(2)「植民地近代化論というのは、だれか一人の見解ではなく、さまざまな研究者による集合された考えだ。
1)朝鮮末期社会が生産力の崩壊とともに自滅するしかない危機に置かれていた。
2)日帝強制占領期間、日本から近代的なさまざまな制度が導入され、先進的な資本が大挙投入されることによって朝鮮が急速に開発され、その結果朝鮮人の生活水準も向上した。
3)このような植民地的開発の経験と遺産が、解放後の韓国経済の高度成長の歴史的背景になった」
朝鮮近代化論は、こういう事実を上げて日本の貢献を認めている。客観的に、この点を否定はできないはずだ。
(3)「近代的な日本の法が朝鮮に適用された。市場制度が発展した。鉄道・道路・通信・港湾などの社会基盤施設が拡充された。先進的技術を持っている日本の資本が大挙投入されて、工場と鉱山が建設された。河川が改修された。農地改良と農業改良によって耕地面積が拡大し、農業生産性も上がった。都市計画と上下水道施設が普及した。こうした証拠はこの他にも逐一数え上げられないほど溢れている」
朝鮮が、日韓併合によって近代化へ進んで行く過程が具体的に指摘されている。この批評を書いているホ・スヨル教授も、この点を認めているようだ。次のパラグラフから反論が始まる。
(4)「朝鮮が開発されたということと、それが朝鮮人にとっても利益になったという論理展開の中には、論理の飛躍という落とし穴がある。朝鮮という地域の開発と、朝鮮人の開発を区別できない飛躍だ。日本人たちは猛烈な速度で朝鮮の土地を掌握して行き、鉱工業資産は90%以上が日本人たちの所有であった。少数の日本人が土地や資本のような生産手段を集中的に所有したので、所得分配が民族別に不公平にならざるをえなかった。こうした不公平な所得分配構造は、日本人たちにより多くの生産手段を所有できるようにし、それが所得不平等を拡大させた。こうした民族別不平等の拡大再生産過程が、植民地時代に朝鮮で広がっていた開発の本来の姿だった」
下線部分が、日本批判の根本点である。朝鮮の開発とそれが朝鮮人の利益になったかという反論である。これに対して、私は次のように答えたい。
ここでは、現代の「所得再分配」という視点で批判しているが、当時の世界にそういう認識がなかった。これが、広く世界に普及したのは1945年の第二次世界大戦終了後である。当時の朝鮮農民と日本の農民の所得差はほとんどなかったはずだ。NHKドラマ「おしん」の世界が、日本農民の生活実態である。朝鮮農民を略奪したと筆者は力説している。それは幻想に基づく感情論だ。先ず、日本と朝鮮の農民生活を比較すべきである。
日本の米騒動(1918年)による米価高騰を鎮めるために、朝鮮で米作を大奨励した。その後、「朝鮮米」が国内で大量に出回り、昭和初期の「昭和恐慌」と重なって日本の農村は疲弊した。村役場が、「娘の身売り」を斡旋するという悲劇を日本の農村は経験している。朝鮮農民を収奪したのではない。同時代の朝鮮と日本の農民生活を比較すれば、「日本収奪論」は否定されるはず。
世界情勢の中で見た朝鮮と日本。そういう比較研究をするべきだ。学問の世界で、「日本憎し」は通用しない。あくまでもデータに基づく比較研究が生命である。ぜひ、それを薦めたい。





