中国という国家を長年にわたり観察してきて気付くことは、習近平が国家主席になるに及んで、その性格がすっかり変わったことだ。胡錦濤時代までは自重しており、先進国から学ぶ謙虚さがあった。2010年にGDPで世界2位になり、近い将来、米国を抜いて世界トップに立つという予測が出始めてからは、すっかり有頂天になってしまった。
この中国GDP1位論の根拠は、現在の成長率を単純に引き延ばすというもの。人口構造という基本部分や、科学技術の発展という質的な側面を無視して、現在のバブル経済を延長するという箸にも棒にもかからない、お粗末なものだ。だが、一度そのようなデータが発表されると、途端に信憑性を持つから不思議である。
その例を挙げると、IMF(国際通貨基金)の予測がある。それによると、2016年12月末に、米中のGDPは交錯し中国が抜き去り米国との差を広げてゆくことになっていた。現実は何も起こらず、米国は1位の座にある。また、中国が6.5%成長を、米国が2.5%成長を継続すれば、2026年に米中のGDPが交錯し中国が1位になる。こういう、予測とも言えない「当てずっぽう」で粗雑な議論が世の中に充満している。
中国政府は、根拠の不確かな予想を常時、聞かされるに及んで、これを信じ込んでしまったと思われる。昨年暮れからの習近平の言動には、国粋主義そのものの視点が滲む発言が目立っていた。従来にはなかった現象である。「米国は衰退する運命である」という内部発言は、日本の東条英機が日米開戦に当たり、発言してもおかしくないほどの突飛な内容だ。
中国は、昨年から今年にかけて、習氏を取り巻く一部の側近が、「米国衰退論」に凝り固まっていた。米中貿易戦争についても、なんら躊躇することなく「徹底抗戦」という綺麗事を並べて対峙することになった。米中貿易摩擦の原因が、中国の不公正貿易慣行にあることは疑いなく、それを棚上げして米国を批判する当たり、もはや「千両役者」の気分でいるのだろう。
『ブルームバーグ』(8月30日付)は、「米国とは異なる『超大国』中国、次の覇権を握れるのか」と題する記事を掲載した。
(1)「中国は今、長い歴史の中で初めて真にグローバルなビジョンを持つ指導者に率いられている。必然的にこれまで唯一の超大国とされていた米国と比較される。だが習近平総書記の共産党指導部は次の覇権国として見なされることには躊躇しており、覇権国が担うコストを引き受けることには慎重だ。『超大国』という言葉をあえて避け、米国のようなやり方で超大国として振る舞うことはイデオロギー的に受け入れられないとしている」
習近平氏が、中国は世界覇権を目指すと昨秋の党大会で発表したことを見れば、これは疑う余地のないことだ。米国と違ったやり方で、超大国として振舞うというのだ。いかなる手法を用いるのか。
覇権国の条件は、①軍事力、②経済的な要素としての経済力、③社会的な要素としての文化的な影響力という3つの側面において他国を圧倒するパワーを持つことが条件だ。軍事力については、資金と人的な資源を投入すれば、一応の形はつく。
問題は、経済力である。GDPの規模が大きければそれですむものではない。国際金融(基軸通貨の供給、為替レートの管理)、貿易システムを管理する能力などが含まれる。中国は現在、極めて閉鎖的である。これが米国のような開放型に移れば、中国共産党のコントロールから外れる。つまり、中国共産党を前提にする限り、中国が米国に代って覇権国になれないのだ。
そもそも、現代の共産主義という専制主義は、人権弾圧の下で成立する政治システムである。世界の普遍的概念から逸脱している政治システムなのだ。これが、③社会的な要素としての文化的な影響力を強めて、世界で受け入れられることは、天変地異が起こってもあり得ない。中国が、こういう特殊な価値観を捨てるだろうか。捨てるならば、共産主義国家でなくなる。既得権益にどっぷりと浸かっている共産党員が、共産党廃止に賛成するはずがない。革命でも起こらない限り、中国から共産党は消えないだろう。
以上の点から判断して、②と③において、超すに超えられない大きなギャッがある。中国は、①の軍事力さえあれば、②と③は自然に達成できると見ている節がある。それは、極めて歴史観のない「物量量中心主義的」な発想法と思われる。「量は質に転化しない」のだ。
中国政府が、このような現実認識を深めれば、世界覇権の妄想に酔って無関係な世界各地へ貴重な資金をばらまく愚を悟るだろう。中国の国際収支において経常収支黒字が今年以降、急減する見通しである。リターンを生まない投資を世界覇権構想の一環で行なっても無駄である。そのことに早く気付くことだ。
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