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きょう9月9日の『朝鮮日報』は、韓国の将来を暗澹とさせる二つの記事を掲載した。ひとは、韓国建国論である。現在の韓国政府の起源は、1919年の海外での「亡命政権」か、1948年の李承晩政権の発足時かをめぐって争っていること。もう一つは、朝鮮半島の鉄道建設が日本政府の資金負担である事実を曲解する議論を展開している。

 

詳細は後で取り上げるが、いずれも過剰な民族主義が前面に出ており、「朝鮮民族の偉大性」を宣言していることだ。いかなる民族も独自の誇りを持って当然である。他民族はそれを尊重して初めて、国際関係がスムースに動くことも事実。ただ、その誇りが合理的な根拠を持たなければ、独り善がりとして批判を浴びて当然だろう。

 

韓国の建国はいつか。こういう議論の際、国家とはどういう定義であるかを明確にすることが前提だ。韓国では、この大前提の議論を素通りしている。日韓併合に反対した朝鮮の有識者が、海外で実態のない「臨時政府」を宣言した。これが、韓国政府の始まりであると韓国左派は主張している。

 

国家成立の条件とは、領土・国民・主権の三つである。朝鮮の臨時政府は、海外で小さな事務所を開き看板を掲げたにすぎない。前記三点の項目には一つも該当しないのだ。よって、この臨時政府は到底、建国とは言えないもの。中国が、共産党創立時(1921年)を建国とせず、新中国が発足した1949年10月を中華人民共和国の創立時としている。これは、国家成立三条件からみて当然のこと。他国からの承認条件となる。

 

こう見ると、韓国の1919年建国論は、国際的に見てもありえない空論である。1948年が正しい議論だ。

 

『朝鮮日報』(9月9日付)は、「『建国節論争』を脱しなければ『建国問題』は解決しない」と題するコラムを掲載した。筆者は、李先敏(イ・ソンミン)先任記者である。

 

(1)「三・一独立運動(1919年)および大韓民国臨時政府樹立100周年を迎える来年は、こうした(建国)議論を行うのに適切な時期だ。三・一運動、漢城・上海・露領臨時政府樹立、統合臨時政府樹立と目まぐるしい1919年の民族史を振り返り、それが1948年の大韓民国政府樹立で完成するプロセスを深くたどってみれば、過去100年にわたり韓国が歩んできた道がはっきりと見えるだろう」

 

1948年の韓国建国は、日本の敗戦によってもたらされた「棚からぼた餅」であることを忘れてはならい。毛沢東は、日本の敗戦があったから予想外に早く中華人民共和国を創立できたを認めている。韓国の場合も同じだ。自力で得た政権ではない。日本敗戦によって、米国から与えられた政権だ。自ら勝ち得た政権ではない。

 

朝鮮半島の鉄道建設についても民族感情論が充満している。

 

『朝鮮日報』(9月9日付)は、「日本 北京 果ては欧州ともつながっていた国際交通都市・京城」と題する記事を掲載した。

 

これは、東北アジア歴史財団の理事長も務めた歴史学者の鄭在貞(チョン・ジェジョン)ソウル市立大学名誉教授(67)が、新たな歴史書『鉄道と近代ソウル』(国学資料院刊)を出版した関連記事である。5年にわたり韓国と日本の資料およそ1000点を集めて研究した成果で、600ページにもなるという。

 

(2)「1979年に鄭教授が日本留学へ出掛けた際、日本の歴史学界では植民地支配を美化し、「日本が韓国に鉄道を敷いてやったではないか」という見方が広く存在していた。『実にとんでもないことだった。鉄道敷設の過程で韓国がどれほど多くの労働力と土地を収奪されたか…』と。鄭教授は、『鉄道は、一言でいえば利器であると同時に凶器だった』と語った。1899年から1945年までの間、日本は総延長6400キロに及ぶ鉄道を韓半島に敷設し、その鉄道網を通して支配力を強化・拡大し、物資を持ち去った。『徹底して日本帝国主義の利益のために作られた鉄道路線は、『侵略』と『開発』、『収奪』と『近代』という両方の属性を併せ持っていた』という」

 

ここでも、過剰民族主義に災いされ、日本による朝鮮半島の鉄道建設の意義を曲解している。なぜなら、経済統計に基づかず感情論の赴くままに分析しているからだ。

 

先ず、日本の技術と資本が、朝鮮半島に投下された事実を認識することだ。当時の朝鮮には、本格的な鉄道を建設する技術も資本も存在しなかった。日本の財政資金が投じられたのだ。日本国民の税金である、理由は、朝鮮半島の近代化を推し進め、中国とロシア(後のソ連)の影響力を防ぐ目的であった。日本の安保体制と深く関わっていたのだ。

 

朝鮮半島を経済的に豊かにすることが、中露の影響を防ぐ目的である以上、朝鮮は日本の収奪目的でなかった。これが、日本の植民地政策が列強のそれと根本的に異なる点である。そういう分析・認識が完全に欠如した研究が、ここに上げられている韓国人学者の著作である。

 

朝鮮で米作を奨励したのは日本政府である。これによって、朝鮮の農民が潤い人口出産率が高まった。この朝鮮米が、日本の昭和初期の恐慌時に日本へ「移入」された。日本の農村は、さらなる米価低下に苦しんだ。こういう関係を全く無視した「日本収奪論」は架空の議論である。米(コメ)の「日本移入」を事情が分らず、単純に収奪と結びつけているのは完全な誤り。対価を得ての移出結果だ。ちなみに、移入・移出とは、当時の朝鮮が日本領であったので、「輸出入」なる言葉を用いない慣例だ。

 

日本では当時、「植民地放棄論」が盛んであった。朝鮮半島や台湾を領有することの財政負担が、日本経済に大きかったからだ。韓国の学者は、過剰な民族主義を捨てて、事実に基づく研究成果を世に問うべきである。