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昨年11月、米国トランプ大統領が訪中の際、これまで外国人賓客のもてなしで使ったことのない紫禁城を開放した。習近平氏は、中国の歴史の古さをトランプ氏に感じさせ、中国悠久の歴史を誇示したのであろう。

 

経済は、考古学と違ってそのシステムの優劣がハッキリと表面化する。習氏は、自国の歴史の古さ=経済システムの優位性と錯覚している面があるように思える。「中国経済システム」という計画・統制のシステムが、市場経済システムに優っていると信じているからだ。この習氏の錯覚は、中国株価の暴落でいやというほどのしっぺ返しを受けている。

 

習氏は、その米国の実力を完全に見誤っている。米国から世界覇権を奪取して、中国がその座に座ろうという魂胆は、妄想以外の何ものでもない。世界覇権を握るには、その国の国民生活が豊かでなければ、砂上の楼閣になろう。その尺度の一つにエンゲル係数(家計支出に占める食費の割合)がある。先進国の尺度として、これが30%以下という暗黙のメドがある。中国は最近、この30%ラインをギリギリで下回った。だが、米国は15%見当と世界一の低さである。米国は、食糧も自給自足が可能であるから、こういう豊かさを実現できるのだろう。

 

中国は、この米国へ挑戦するという無謀なことを国是に掲げてしまった。勝負は、最初から分ったのも同然であるが、中国はこの挑戦でどれだけの資源を軍備の拡張面で支出をするのか。この分を内政に向けるべきだが、中国共産党の権力維持のため、外延的な発展が不可避と判断している。不幸な政権が登場したのだ。

 

『ウォール・ストリート・ジャーナル』(7月4日付)は、「米国はそれでも衰退しない」と題する記事を掲載した。

 

米中貿易戦争は、米国経済にも損害をもたらすであろう。だが、それを恐れていたのでは、中国の無法な技術窃取を黙認し、その先に秘められている米国覇権への軍事的挑戦と、大掛かりな世界的混乱を助長するリスクの芽を育てる。

 

米国が、1911~12年にかけて太平洋で日本との決戦を覚悟しその準備に入った。これと同じスタンスで、新たな闘争相手の中国に対峙していると思われる。世界の普遍的な価値観と市場経済システムが、人類への平和をもたらすという固い信念に基づくからだ。

 

現在の米国の政治状況は混乱している。左右の対立と価値観の分裂が起こっている。中国は、この状況を眺めて自らの独裁政治システムと計画経済の優位性を信じ、世界で同調者を増やす工作を始めている。この矢先に米中貿易戦争が起こるのは、宿命的な巡り合わせと見る。

 

かねてから、私は米国の強味がどこにあるかを考えてきた。マックス・ヴェーバーは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に求めている。私は、これに加えて米国哲学の「プラグマティズム」にあると見る。この「プラグマティズム」とは、極めて実践的な思考行動である。すなわち、「思考の働きは、疑念という刺激によって生じ、信念が得られたときに停止する。信念を固めることが思考の唯一の機能である」。このように、疑念から信念が生まれ、それを固めるのが思考である。

 

この過程を眺めると、米国が絶えず変化してゆく哲学的な原動力を秘めているように思える。現在の米国は、内には分裂、外には中国との対峙を控えている。これを「危機」とすれば、米国はこれらを克服できる思想的な弾力性を備えていると見る。中国のように、AI(人工知能)を駆使して、国民への監視なくしては維持できない政権でないのだ。

 

(1)「アジアやアフリカどころか欧州の一部指導者までもが、混沌とした米国の民主制度に比べればテクノクラートが主導する中国の独裁的制度の方が21世紀の統治モデルとして優れているかもしれないと考え始めている。将来に関する不透明感は米国にとって新しいことではない。ベンジャミン・フランクリンが憲法制定会議の成果を聞かれ、『共和制だ。ただしそれを維持できるなら』と答えた話は有名だ。わが国の国歌は勝ち誇ったような断定ではなく、『夜が明けてもなお米国旗ははためいているか』との不安げな問いで始まる」

 

共和制政治は、独裁的制度に比べれば非効率であろう。結論が出るまでに大変な時間を必要とするからだ。だが、それ故に強固さを持つ。議論の過程で合意が形成されるからだ。先に「プラグマティズム」の本質について、私は「疑念から信念が生まれ、それを固めるのが思考」であると記した。共和制政治は、プラグマティズムの実践である。現在の米国は、疑念から新たな信念が生まれる途上にあるのだろう。

 

(2)「だが、星条旗はどうにかはためき続けてきた。米国の力はなぜこれほど脆弱に見え、これほどの回復力を保っているのか。一因は、まさに人類史のペースが加速していた時期に米国が台頭したことだ。18世紀半ばの啓蒙主義と産業革命は、後に世界を変革することになるアイデアや技術を解き放った。近代資本主義は猛烈な勢いで出現した。いま世界システムを打ちのめしている社会的混乱や地政学的不安や技術革新は、まだ終わりの見えない長いプロセスの最新段階にすぎない。米国はこの問題で大半の国よりよく持ちこたえてきた」

 

米国は、国論の統一が難しいから脆弱に見える。これは、20世紀になってからもそうだ。第一次・第二次の世界大戦前も、開戦をめぐって国内世論は沸騰して結論がなかなか得られなかった。現在の中国が、米国を見て「脆弱な米国」と軽蔑したとしても不思議はない。習近平氏がそう侮って、海軍の大増強に着手したとすれば誤解だ。米国の手強さを最も知っているのは、敗戦の憂き目に遭った日本である。中国は、日本敗戦の根因を学ぶことが必要だ。

 

資本主義を思想としてみれば、その根本には市場システムが存在する。それは、何人にも自由であり公正を保証する。まさに、市民社会論である。独裁主義は、この市民社会の存在を認めず拒否する。現在の中国が、遠慮会釈なく人権を弾圧する点と根本が異なる。よって、「社会主義市場経済」はまやかしである。論理的に成立しないエセの市場経済システムである。

 

市民社会は柔軟である。合議性である。相手をいたわり、自分のことのよう慈しむ社会である。福祉社会は、この延長線に現れるものであろう。北欧社会が、福祉社会を志向している原動力は、紛れもなく市民社会論から出発している。現在の米国は、市民社会から出発するが、北欧社会とは次元を異にする。競争を前面に立てた市民社会論である。

 

米国は、覇権国家としての義務がある。膨大な軍事力を擁して、世界の憲兵役を果たさなければならない。その見返りの権利は、ドルという基軸通貨が認められていることだ。中国は世界覇権に挑戦するとしても、世界の普遍的価値の自由と民主主議を擁護する立場でなく、否定する側である。この一事を以てしても、頂点に立てる資格を欠くのだ。世界は、儒教とマルクスレーニン主義に「改宗」させられるのか。習氏の前途には、茨の道が待っていると見るのが当然であろう。

 

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