a0001_000088_m
   

日韓対立に終わりはあるだろうか。文政権になってから、法的に解決した過去の問題が、次々と掘り返されて「未解決」と言い募っている。日本は、「韓国疲れ」を起こしている。もういい加減にしてくれ、というのが日本人の8割が持っている感想だ。

 

韓国は、日本へ敵対する一方、中国に親近感を持っている。日中が過去、朝鮮半島で起こした問題でも、韓国は違った対応である。中国には泣き寝入りだが、その恨みを日本に向けて「倍返し」である。不思議な対応だ。中国へは一目置いている。その代わり、儒教の朱子学を笠に着て、日本へは「教師」のように振る舞い、自らを恥じ入ることがない。

 

韓国人のこのような行動を説明する記事が現れた。

 

『中央日報』(2月25日付)は、「韓国、日本より中国が協力国というのは古代史的観点」と題する記事を掲載した。

 

駐韓外信記者クラブ会長を務めたマイケル・ブリーン氏は、特に日韓併合時代に関して「韓国人は現実にも偏見にももっと正直になるべきであり、もっと許すべきだと考える」と、韓国人の歴史認識に厳しい診断を下した。

 

ブリーン氏は1982年以降2年ほどを除いて韓国に暮らす、韓国を「故国に選択した人物だ。これまで金泳三(キム・ヨンサム)大統領、金大中(キム・デジュン)大統領のほか、北朝鮮の金日成(キム・イルソン)主席にも取材している。そういう長い取材経験を通して、現代韓国人の対日観に苦言を呈している。

 

(1)「ブリーン氏は記者に対し、「(歴史認識は)理解できるが、客観的なものではない」とし、また「選別的」という趣旨で述べた。ブリーン氏は「韓国と日本が東アジアで自由市場経済民主主義の2国という事実を受け入れることにも失敗している」とし、「日本より中国が(韓国と)協力国だと見るのは古代史的な観点だ」と話した」

 

韓国の対日観は常時、日本へ謝罪を求める「資格」「権利」があるという錯覚に満ちている。過去の問題は法的に決着した。それで区切りを付けるということはない。エンドレスであるから、日本は「韓国疲れ」を起こす。個人間でもそうだろう。しょっちゅう昔の愚痴を持出されたら、誰でも去って行くはずだ。

 

「大同小異」という言葉がある。韓国は、「小異」(こういう言葉を使うとまた噛みついてくるが)を捨てて、「大同」(民主主義・市場主義)を大切にする。この一点を共通の価値観にして守る認識が希薄だ。これが、少しでもあれば事態は変るだろう。

 

日本へ「謝罪しろ」という言葉の連発は、韓国が自らを上位者として意識し、日本にそれを確認させる作業なのだろう。儒教社会の悪しき慣例である「上下関係」の認識過程である。日本は、こういう無駄なことに付合う習慣がない。韓国は、中国に対しては畏れ多くて言えないから、日本へその鬱憤を向けているに違いない。日本を軽く見ている証拠だ。こういう「我が儘な振る舞い」には、どう対応すべきか。妥協は、さらなる「謝罪要求」につながる。

 

(2)「日帝強占期(日韓併合時代)を経験した金大中(キム・デジュン)世代と、現在の世代を比較した。「記者として取材してみると金大中世代は、本人も含めて(日帝強占期に)そこまで否定的でなかった。その後の世代がそうなっている。教育のためだと考える。日帝強占期については後回しにできなければいけない」。ブリーン氏は1998年に金大中大統領が小渕恵三首相と「韓日パートナーシップ共同宣言」を通じて韓日間の全面的交流・協力の道を開いたことを高く評価した」

 

日韓併合時代を生きた韓国人は、日本への一定の配慮があった。朴正熙・元大統領は、お忍びで来日し、日本の政治家とゴルフを楽しんだという。その朴氏は、日韓併合で日本人教師から進学を勧められ上級学校へ進んだ。李朝時代であれば、農家の子どもが進学することなどあり得ないと言っていたというのだ。

 

文在寅大統領の「師匠筋」にあたる金大中氏も、陰に陽に日本の支援を受けていた。韓国で軍事政権に追われる身の金氏は、日本を舞台に韓国の民主化運動を行なっていた。このように過去の日韓関係は、現在よりもずっと親密であった。トゲトゲしいものではなかったのだ。

 

(3)「ブリーン氏は代案として、韓国人がアイデンティティーを抗日または反日の枠で探すところから抜け出すべきだと助言した。ブリーン氏は「アイデンティティーを探すためにあまりにも過去志向である。いくつかの意味で現代の韓国人のアイデンティティーは(民主主義が本格化した)1987年に始まった」と語った。

 

韓国人のアイデンティティーは、1987年(韓国民主化宣言)に始ることを提案している。「反日・親中」が、古代史の名残である以上、いつまでもこの殻に閉じこもって、日本の現代に目を塞いでいることは日韓双方にとって不幸である。ことあるごとに、秀吉の朝鮮出兵を持出す韓国人の心情は図りがたい。この秀吉の後が、日韓併合である。日本へ謝罪を求める「ネタ」に事欠かないのだ。

 

これが、韓国人の変らぬ「対日観」である。朝鮮は、自らの力で世界史の扉を開けられなかった。その民族としての悲哀が、日本への羨望となり、謝罪を求める嫉妬に変っていくのであろう。この韓国人の心情を癒やす役割が、日本に課されるとは余りにも不合理である。心の傷は、自分で乗り越えるべきなのだ。