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日本列島を襲っている秋雨前線が消えれば、すがすがしい秋がやってくる。深まる秋と共に出てくる話題は「ノーベル賞」だ。すっかり、受賞常連国になった日本だが、この勢いはいつまで続くのか。中国が、そろそろお鉢が回ってくるのでないかと期待しているふうに見える。

 

ノーベル賞受賞に必要なことは、国際的な研究の連携が必要だとされている。独りでコツコツと職人芸でやるのでなく、世界を舞台にして共同研究を立ち上げるような度量が必要とされる。その点で、中国は米国の著名大学や研究所へ手を伸しているが、最近、にわかに雲行きが怪しくなってきた。中国人研究者が、研究成果を盗んで母国へ持ち帰っているという例が頻繁に報告されている。こうなると、西側諸国は、中国に盗まれた技術のリストをつくって、中国人研究者をマークするだろう。

 

もう一つ、米国が中国人研究者を積極的に排除していることだ。米国の研究所で重要ポストまかされながら、こっそりと中国の研究所に籍を置く人物が摘発されている。著名な米国の医学研究所で、所長が解任されたケースが、中国関係が理由であった。中国人と言えば、米国籍になっていても、必ず「スパイ活動」を誘ってくるという。FBI(連邦捜査局)が、動静に目を光らせており、具体的なスパイ手口まで公表し、逮捕への協力を求めているほどだ。

 

『サーチナ』(9月1日付)は、「毎年のようにノーベル賞を受賞する日本人、この勢いはいつまで続くのか」と題する中国記事を掲載した。

 

ここ10年ほど、日本は平均で毎年1人ずつノーベル賞受賞者を輩出している。日本人受賞者が増えたのは2000年からで、それ以前は5ー6年に1人ほどだったことを考えると、急激な増加だ。中国メディア『今日頭条』(8月28日付)は、日本が毎年のようにノーベル賞受賞者を出すのはいつまでなのか分析する記事を掲載した。



(1)「日本はいつまで今のペースを保って受賞者を輩出していくのだろうか。記事は、英国と米国の例を引き合いに出し「今がピークだが、このピークはいつか終わる」と主張。それは、記事によると「知識生産能力のピークは、物的な生産能力のピークよりも遅れてくる」ためだ。ナポレオン時代の1815年に戦勝国となった英国は世界最大の債権国となり、「世界で最も金持ち」の状態が100年続いた。そんな英国から有名な科学者が出たのは経済発展のピークを過ぎた19世紀後半であり、後に「世界で最も金持ちの国」を70年続けた米国も同様だった。日本はバブル崩壊前に40年間物質的な生産力の発展がピークとなったが、今は「知識生産能力のピーク」を迎えているというのが主張の根拠らしい」

 

創造的な研究には、「研究の自由」が不可欠である。政治的な雑音から離れていることも必要条件だ。日本では、京都大学など関西圏がそうした条件を満たしている。東京では、やたらと政府の委員に引っ張り出されて研究時間を失うのも痛手らしい。地方の大学に有利な環境があることは事実だ。

 

中国は、政府が国威発揚で研究を利用してダメにしてしまうのでないか。自由な発想を認めない中国に真の研究精神が宿っているか不明だ。いつも、研究に補助金をぶら下げられている状況では、研究=金儲けとなっている。ノーベル賞のような基礎研究では、中国人と中国の政治体制が不向きと見る。

 

(3)「この論理で言えば、日本からのノーベル賞受賞者は今後減っていくことが予想され、逆に中国からは増えていくことになるだろう。記事に対しても、「中国が科学者の育成を始めたのが20世紀に入ってからなので、10年後にはたくさん輩出されるだろう」と期待する声があがる一方、やせ我慢なのか「中国には必要ない」と主張する人も少なくなかった。理由は「ノーベル賞は資本主義の甘い砲弾」だから、あるいは「我々には自信があるので」など様々なようだが、本心では日本が羨ましくてたまらないのではないだろうか」

 

中国の経済成長は、もはや限界領域に入っている。経常収支も赤字転落が目前であり、貯蓄不足が深刻になってきた。世界が描く中国の「GDP世界2位」は、実質的に架空のものと見るべきだ。厳しい内部矛楯が進行している。