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韓国が国を挙げて虚しい作業を続けている。1910年に始まった日韓併合で流入した日本語を追放しようという営みに狂奔している。自分の親の存在を否定したいから、戸籍から親の名前を消すと同じことである。そのことに気付かず、「克日」と称して張りきっている。英語が嫌いだから、米英を抹殺しようということと同じである。

 

中国でも同時期に、近代化を象徴する用語としての日本語が流入した。「共産党」「社会科学」などもすべて日本語である。その中国が、日本語が語源だから変えるという話は聞かない。この中国と比べた韓国の狭量さは、もはや病的ですらある。

 

『中央日報』(9月22日付)は、「日本克服、言語生活から」と題するコラムを掲載した。

 

(1)「過去の問題が日本との経済対決の様相に広がって2カ月ほど。日本製品を買わず日本旅行を控えるのも良いが、日本の影が他のどの国より濃厚な韓国の言語生活もこの辺りでちょっと振り返ろうという話だ。事実、既視感程度ではなく記憶がはっきりしているほどに日本語式用語の純化はしばしば韓国の関心事だった。解放直後から日本の残滓を洗い落とすのに関心を傾けてきたという。1990年代には日本語式がとりわけ激しい建設分野の用語だけを別に集めて純化案を作ったりもした。国立国語院は2005年と2006年に連続して「日本語式用語純化資料集」を発表した」

 

日本語が生活用語として定着しているものに、ワサビ、オデン、ウドン、チャンポンがあるという。この言葉が定着したのは、これらの食材・料理が朝鮮人の日常生活に潤いを与えたからだ。恩恵を受けたということ。言葉を禁じるならば、前記の食材と料理も禁止すべきである。そこまで「不便」を忍んで「克日」をやるならば、辻褄が合っている。だが、利益を受けて名称を排斥するとは、不思議な感情である。

 

(2)「私たちが何の拒否感なく使う、主に学問領域の漢字語、たとえば哲学、主観、客観、理性、芸術、文学、心理、科学、技術、権利、義務、こうした語彙はみんな日本からきた。日本で西洋学問導入の先駆者に挙げられる19世紀の思想家西周が作った言葉という。インターネットで調べればすぐにわかる内容だ。ここで終わりではない。大統領、首相、長官のような行政用語もルーツは日本という こうした言葉は、日本という窓を通じて近代を受け入れるほかなかった過去の韓国の苦しい立場を改めて思い起こさせる憎らしい友達のようだ。だからとこの言葉を捨てられるだろうか。現実的に不可能だ。そのような事実をわかって使おう、こうした水準の対応が最善だろう」

 

下線を引いた用語の語源が日本語であることは、日本から利益を受けたと同義語であろう。実体を受入れながら、語源の日本語を拒否するのは矛楯している。「克日」を目指すならば、未開状態に戻るほかない。その覚悟はなさそうだ。克日と言っても、表面的なことなのだ。

(3)「だからだったのだろうが、国立国語院は2015年に「日本語式語彙資料構築」という報告書を公開した。どんな漢字語が日本語式なのか知りたがる国民の疑問を解消し、研究資料として活用するためだ。韓中日の用例比較を通じ500個程度の漢字語のルーツが日本だと判定した。国語院の検索ボックスに「日本語式」と打ち込めば報告書が出てくる。驚くほど日本製の漢字語が多い」

 

朝鮮の近代化を推進したのは日本である。その証拠に500程度の近代化を象徴する日本語が残っている。戦時中の日本が、英語を「敵性語」として使用を禁じた。戦時中とはいえ、日本軍部の愚かさを表す例になっている。韓国の現状は、これと同じである。