11月29日の香港は、市民が安堵感に満たされていた。米国が、香港人権法に大統領署名を終えたからだ。数万人の市民が米国星条旗を掲げ、米国歌を歌うという「開放区」さながらの光景を見せたのである。
中国の専制主義が、米国民主主義に敗れた構図でもある。中国は、米国に報復宣言したが、具体案がない。せいぜい、今回の香港人権法関係した議員や関係者の中国入国ビザを発給しない程度だ。効果のある報復策を打てない。そこに中国経済の深刻な一面を覗かせている。「中国、敗れたり」である。
『大紀元』(11月30日付)は、「香港で人権民主法の成立を祝う集会、数万人が参加」と題する記事を掲載した。
11月28日、米国が感謝祭を祝うなか、香港では数万人がビジネス街の広場である中環遮打花園や愛丁堡広場に集まり、米国旗を振った。簡易ステージが設置され、香港のテーマソングや米国国家の歌唱が披露された。
(1)「この合法集会の主催者によると、米国祝日である感謝祭に合わせて香港人権民主法の成立の感謝を示したという香港人権民主法は、中国に返還された香港の「高度な自治」が十分に実施されているかどうか、米国長官が毎年見直すことを義務付ける。欠陥があるとみなされた場合、1992年の米国香港政策法に基づく特別な経済特権を引き下げる可能性がある。さらに、この法律には、香港市民の人権を侵害した中国と香港の当局者に対する制裁を課すことも含まれる。集会の登壇者がこの規定に言及したとき、聴衆からは大きな歓声が上がった」
香港人権法では、香港市民の人権を侵害する中国と香港の当局者へ制裁を課すことになっている。これを聞いた香港市民は、大歓声を上げたという。これまでは、弾圧される一方であった。香港人権法によって、この弾圧側が責任を追及される側に回った。主客の入れ替わりである。
(2)「同時に、米国警察が香港警察への鎮圧機器を輸出することを禁止する法案も制定された。集会では、数人の民衆運動の著名人も登壇した。2014年の雨傘運動を率いた一人である黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏は、24日の地方議員選挙で民主派が大勝したことは「私たちが多数派である」ことを示したと述べた。11月24日、民主派陣営は北京派陣営に対して圧勝し、452の地方議会議席のうち380議席を獲得した。投票率は71.2%と過去最高となった」
香港民主派が、区議会議員選挙で中国本土派に大差を以て打ち勝った。さらに、「香港人権法」の成立だ。盆と正月が一緒に来たような喜びであろう。
(3)「黄氏は、雨傘運動の2014年当時、香港の普通選挙実現のため、米国の議員にロビー活動を行ったが、多くの議員は深刻に捉えていなかったと語った。香港人権民主法案は、上院下院の両院で満場一致で通過し、大統領が署名した。黄氏はこの結果を受けて「香港の内外で、香港の民主への危機について認識が高まった結果だと語った。香港の民衆活動家であり歌手の(デニス・ホー)氏は、集会に設けられたステージに立ち、香港民主派のテーマソングである「願栄光帰香港」を歌った。また、集会では米国国歌もオペラ歌手が歌った」
2014年当時の雨傘運動では、米国議員の関心が高まらなかった。それが、5年後には米議会では全員一致で「香港人権法」を成立させた。この5年間に、中国の弾圧が見逃せない規模になってきた結果であろう。中国が、自制することなく恣意的な政策を押しつけ、破綻したと見るべきであろう。
(4)「大紀元メディアグループの新唐人テレビの取材に応じた集会参加者のジョン氏は、米国の香港法成立は大きな励みになると語った。「不安が続く数カ月間で、ようやく進歩が見られた。これがなければ、意気消沈していただろう」と述べた。「私達は民主主義を望んでいる。米国と同じ価値観を持って立ち上がった。中国に対抗するための希望が増えた」と付け加えた」
香港は、英国統治下で民主主義の価値を学んだ。習近平氏の価値観を受入れるはずがない。これは、自由主義諸国で共通である。中国は、この心の壁で跳ね返されるであろう。
(5)「トビー氏という別の抗議者は、中国共産党は「私たちの自由と民主主義を抑圧してきた」と語った。「私たちはただ自由と5つの要求を求めているだけ。求めているのはそれだけだ」と彼は述べ、香港政府に普通選挙権や警察の暴力についての独立調査などの実行を求めると語った。集会の最中、警察機動隊が参加者の学生2人を囲み逮捕しようとしたが、民衆が「放して!放して!」と連呼して、警官を取り囲んだ。学生2人は逮捕されず、開放された」
香港警察は、香港学生を逮捕すべく取り囲んだ。その周囲にいた市民が、抗議の声を上げ結局、そのまま引上げざるを得なかった。「香港人権法」の威力をまざまざと見せつける光景である。劇的なシーンであった。