韓国文大統領は25日、今回のユン検察総長の「停職2ヶ月」騒動を巡る混乱で国民に謝罪した。しかしこれまで、ユン検察総長を追放して政権側の犯罪を阻止し、議員身分の安泰を願っている面々にとっては切実である。まだ、ユン氏を国会で弾劾し追放すると息巻いているのだ。
普通、罪を犯した側は雲隠れしているものだが、韓国は別である。当事者と思われる連中が、前面に出て来て喚き散らすという異常な光景を見せている。民族性の違いとはいえ、大勢で騒げばそれが「正統化」するという信念を持っているようだ。中国で、ウソを100回言えば真実になるという屁理屈と同じだ。中国人と韓国人は、実に良く似た部分を持っている。
『ハンギョレ新聞』(12月26日付)は、「検察総長弾劾を準備『今回の事件は司法クーデター』韓国与党、懲戒停止決定に反発」と題する記事を掲載した。
韓国の裁判所がユン・ソクヨル検察総長の懲戒処分執行停止申立てを受け入れる決定を下すと、与党ではユン総長を弾劾すべきだという声が出始めた。
(1)「共に民主党のキム・ドゥグァン議員は25日、自身のフェイスブックに「ユン総長の弾劾案を準備する。ユン総長が大統領の人事権を裁判所に持ち込んだときから国会が弾劾を準備すべきだと考えていた。周りが止めたので裁判所の決定まで見守ることにしたのだ。しかしこれ以上待つことはできない」とし「検察と裁判所が掌握した政治を国会に持ち帰る」と書いた」
韓国与党は、ユン検察総長を国会で弾劾すると言いだした。国会で絶対多数を占めている力を借りて、無法を通そうという理屈だ。狂気の沙汰としか言いようがない。「検察と裁判所が掌握した政治を国会に持ち帰る」とまで言い出す始末だ。
民主主義には、三権分立という制度がなぜ必要か。それは、司法・立法・行政がチェック・アンド・バランスによって、権力の濫用を防ぐためである。現在は、司法府が立法府と行政府の独走を抑制している構図である。このままでは、韓国の民主主義は死滅する。
(2)「キム議員は、「裁判所が荒唐無稽な決定をした。政治検察のトップ、裁判官査察の主犯のユン総長が復帰した」とし、今回の事件を「国民が選出した大統領の権力を停止させた司法クーデター」だと述べた。さらに「国民が選出した大統領の統治行為が検察と裁判官によってめった切りにされるのを必ず防ぐ」と述べ、ユン総長弾劾案を主導する意志を重ねて示した」
韓国進歩派は、皮肉にも三権分立の建前を崩そうとしている。これが、進歩派の看板を掲げた政党の発言である。「進歩派独裁」が、当然という驕った意識である。文大統領の「十八番」は、三権分立なのだ。
(3)「検察総長弾劾訴追案は在籍議員3分の1以上の発議と過半数の賛成で議決が可能だ。現在174議席の民主党は、単独でユン総長弾劾訴追案を議決できる。民主党では裁判所の決定に対する批判の声も相次いだ。キム・ナムグク民主党議員はこの日、自身のフェイスブックに「『判事査察文書』作成は非常に不適切で危険だと判断しながら執行停止認容を決定したことは、感染病拡散が懸念されるとしながら8月の光化門(クァンファムン)広場での集会を認めた前回の決定と同じように荒唐無稽だ」と書き込んだ」
進歩派議員が、絶対多数を拠り所にして「何でも立法できる」という極めて奢り昂ぶった意見を恥ずかしげもなく言っている。これが、韓国進歩派の実態である。保守派は市場主義である。市場主義は、
自由主義=民主主義である。韓国の進歩派は、保守派に劣る非合理な民族主義者集団である。
(4)「民主党最高委員のシン・ドングン議員もフェイスブックに「特権集団の同盟として刑事、司法権力を固守しようとする法曹カルテルの強固な抵抗に対し、強度の高い検察改革と司法改革を体系的に強力に推進し、民主的統制、市民的統制をシステム的に構築する」と書き込んだ。ミン・ヒョンベ民主党議員もフェイスブックに「大統領の(検察総長懲戒の)裁可を覆す裁判、これは明白な三権分立違反ではないか」とし「検察が罪だと思うことだけが罪になり、裁判官が見たいことだけを見ながら下す判決。このようなことがいわゆる司法壟断なのだ」と明らかにした」
下線部分では、「司法壟断」と言い出した。だが、司法は、憲法と法律に則って判断している。勝手な尺度を持ち出して「壟断」しているのではない。法律は、立法府の国会が定めたものだ。要するに、最終的には国民がつくった法的な尺度に基づく。それゆえ、政治が司法判断に影響を与えてはならないのである。これを以て、「司法壟断」とは笑止千万である。
(5)「文在寅(ムン・ジェイン)大統領はこの日、カン・ミンソク大統領府報道官の書面でのブリーフィングを通じて「裁判所の決定を尊重する」と明らかにした。さらに「法務部と検察は安定的な協調関係を通じて、検察改革と捜査権改革など後続措置を支障なく推進していかなければならない」と指示し、両機関の協業を強調した」
文大統領は、「司法判断を尊重する」と発表した。当然すぎる言葉である。この文氏は、今回のユン検察総長「停職2ヶ月」問題では、行政裁判所の判断が出る直前、大法院(最高裁判所)と憲法裁判所のトップを大統領府に招いて圧力を掛けた。まさに「行政壟断」をやろうとして失敗したのである。嘆かわしいことだ。
『ハンギョレ新聞』(12月26日付)は、「韓国検察総長をめぐる議論、これ以上政治運営の負担になってはならない」と題する社説を掲載した。
(6)「“国民により選出された大統領”が政務職の公務員である検察総長を懲戒したことを受け、“選挙で選ばれていない判官”である司法府が最終判断することがはたして適切かという指摘には一理ある。この問題は大統領制の起源の米国でも長い論争の種だった。三権分立と大統領権限および責任に関する建設的な論争は今後も必要だろうと思われる」
三権分立は、18世紀のロックやモンテスキューの主張である。世界の近代憲法の基礎になっているのだ。米国で、三権分立に疑義を挟む話は断片的なものだろう。そういう「つまみ食い議論」を韓国に導入して、ユン検察総長追放を正統化してはならない。『ハンギョレ新聞』の自殺行為である。