購買力平価説というものがある。外国為替相場を決める要因として、その国の消費者物価水準を手がかりにしようという考え方だ。例えば、日本円と米国ドルの為替相場は、長期的に日米の消費者物価水準で決まるというもの。
これは、一種の仮説である。永遠の真理ではない。ところが、日韓の国民一人当たりの名目GDPを購買力平価で換算すると、韓国が日本を引離しているから、韓国の国力が日本と逆転したという「謬説」が堂々と現れている。以前、韓国人学者が「喜び勇んで」これを取り上げて「悦に入って」いた。私はその誤りを指摘した。今度は、日本人学者が同じことを言い出したのである。
いささか辟易するが、購買力平価で計算した一人当たりの名目GDPは、物価が安い国の方が有利になるという「マジック」に過ぎない。例えば、シンガポールの一人当たり名目GDPは購買力平価で9万8483ドル(2020年)、米国の6万3414(同)を上回っている。これを見て、シンガポールの国力が米国を上回っていると見る人は絶無であろう。
シンガポールと米国で差が出たのは、シンガポールの物価水準が米国より安いという理由である。ここまで説明すればお分かりの通り、日韓の物価水準の違い(韓国の方が安い=賃金が安い)が、逆転した印象を与えているに過ぎない。日韓の総合国力から見て、日韓逆転などと騒ぐのは的外れと言うほかない。第一、科学技術水準が異なるのだ。
『ニューズウィーク 日本語版』(12月27日付)は、「『日韓逆転』論の本質は日本の真の実力への目覚め」と題する記事を掲載した。筆者は、神戸大学教授木村幹氏である。
韓国が日本を逆転......、そんな記事が新聞をはじめとする多くのメディアを賑わせている。取り上げられているのは、主に三つの指標での「日韓逆転」である。すなわち、第一がPPP(購買力平価)ベースでの一人当たりGDP、第二がやはりPPPベースでの年間賃金、そして最後がドル建てでの軍事費である。ちなみに、各々のデータの出所は第一のものについては、世界銀行やIMFの一般的な統計が用いられる一方、第二のものについてはOECD、そして第三の軍事費については、ストックホルム国際平和研究所の統計が使われることが多くなっている。
(1)「PPPベースの一人当たりGDPで、韓国が日本を追い越したのは2018年だから、既に3年も前のことである。OECDが発表するPPPベースでの年間賃金で韓国が日本を上回った年に至っては、2015年だから、既にそれから6年も経過していることになる。逆に一部で「逆転」が伝えられたドルベースでの軍事費は、少なくともストックホルム国際平和研究所が公式に発表しているデータでは、昨年、2020年の段階では、未だ日本が辛うじて上位に立っている」
購買力平価は、長期の為替相場の水準を議論するときの手がかりになるものだ。それ以外には、利用されていない。ただ、IMFがこういう購買力平価に基づく数値を参考として出しているだけで、これが政策議論のベースになっている訳でない。いわば、「付属品」のようなものだろう。
購買力平価が真に議論対象になるには、自由貿易によって「一物一価」の原則が貫かれるケースだけである。そのような物価は、論理的には存在しても、現実にはあり得ない「架空」の存在だ。そうした「架空」データで日韓逆転などと議論しても全く意味はない。韓国のPPPレベルの一人当たりGDPが、日本を上回ったのは韓国の物価が安いことに過ぎない。
(2)「周知のように、我が国の経済的不振は1989年代末のバブル景気終焉から既に30年以上続いている。この結果、PPPベースでの一人当たりGDPの日本の世界ランキング上での位置は、やはりIMFの推計を使えば1989年の22位から2020年には32位まで落ちることになっている。だから当然のことながら、この間に日本を追い抜いたのは、韓国だけではない。例えば、東アジア・東南アジア地域では、シンガポール、マカオ、香港、台湾、そして韓国が、既に日本の上位に位置している」
PPPレベルの一人当たり名目GDPは、生活実感を示すものであっても、これを基準にした政策議論は成り立たない。念のために言い添えるが、「一人当たりGDP」は名目値であって、実質値ではない。この点をぜひ頭に入れて置いていただきたい。
(3)「指摘すべきは、新型コロナ禍の状況が、日本人に今の自分たちの国際的な立ち位置を認識せざるを得ない状況を作り出していることであろう。少なくとも現段階において、新型コロナウイルスの感染拡大の抑え込みに成功しているこの国は、他方で、付随して起こった経済的不況からの脱出に、世界各国の中でも最も苦労している国の一つでもある。IMFが今年10月に発表した予測によれば、多くの国が昨年の深刻な経済的危機からの回復を見せる中、日本の経済成長率はG7の中で最も低い2.4%に留まることとなっている」
日本の潜在成長率が、G7で一番低いのは理由あってのことだ。日本が、1990年に総人口に占める生産年齢人口(15~64歳)比でピークをつけ、それ以降下降局面にある。これは、潜在成長率の低下を意味している。先進国では最初の経験をしているのである。1990年から見れば現在、生産年齢人口比率は約10%ポイントも下がっている。その中で、日本は必死に生産性を上げるべく努力している。決して日本を卑下することはない。先進国の課題を背負って進んでいるのだ。
この日本の通っている道は、すでに中国も韓国も入っている。まだ、そのマイナス幅が目立たないだけであり、間もなく泥沼が顕著になろう。時間の問題である。
(4)「この経済的危機の中での日本の状況は、これまで幾度も繰り返されてきた同様の危機においてとは、いささか異なるものにもなっている。例えば、過去の国際的な経済危機では、「安定通貨」としての信用から必ず価値を上げてきた円は、今回の危機においてはむしろ価値を落としている。30年を超える危機からの脱出の道筋が見えないのは明らかであり、コロナ禍で人々の将来に対する不安感は更に大きなものとなっている」
日本の金利水準は、事実上「ゼロ金利」である。他国は、これから金利を引き上げるので、日本との金利差は拡大する。このため、円相場は円安に振れても円高には進まない構造である。ただ、国際情勢で突発的事件が起これば、日本円と米ドルが「避難通貨」として買われることに変わりない。日本は、世界一の対外純資産国である。これに、誇りを持つべきだろう。「腐っても鯛は鯛」なのだ。