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検察総長追出しは死活問題

現実課題に苦手な学校秀才

両親と盧大統領の強い影響

コピーは独自色打出せない

 

韓国政界は今、異常事態に巻き込まれている。法務部長官(法相)が、検察総長(検事総長)に職務停止と解任要求を突きつけたからだ。検察総長が、政権側の犯罪捜査に力を入れていることが背景にある。韓国進歩派は、今後とも政権を継続させたい。それには、政権の犯罪が司法の場に持ち出されることを何としても避けなければならない。文政権の切羽詰まった事情が、垣間見えるのである。

 

文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、秋美愛(チュ・ミエ)法務部長官による尹錫悦(ユン・ソギョル)検察総長の職務停止命令などという異常案件に対し、なんらの意見も言わなかったという。つまり、黙認したのである。ユン検察総長は、文大統領が自ら任命した人事だ。任期の2年間は、身分が保証されている。職務停止と解任要求は、過去に遡っても前例のない暴挙である。

 

検察総長追出しは死活問題

文政権が、ユン検察総長追い出しに総力を挙げている主な理由は、これまで目立った功績どころか、マイナスの事態が山積していることだ。その上、ユン検察総長から月城原発停止問題を捜査され致命的な傷を負う恐怖であろう。月城原発は、黒字操業を続けていた。急に操業を中止する理由はなかったのだ。ただ、文氏が大統領選で公約に上げていた関係上、早急に原発停止をしなければ、原発反対市民団体へ顔向けできない。そいう政治的思惑が先行して、強引に操業停止に追込んだのである。

 


その際、政権は月城原発が黒字経営であったにもかかわらず、データを赤字経営へ改竄したのである。韓国監査院(会計検査院)は、その不法性を指摘したのである。その後、検察へ告発状が出されて捜査に着手したものだ。政権は、なぜか検察捜査の不当性を指摘している。その理由が、極めて滑稽なのだ。

 

月城原発の停止は、大統領選の公約である。文氏の掲げたこの公約は、文大統領当選で国民から承認を受けたのも同然である。よって、行政府の決めた月城原発の停止について、司法は捜査する権利がない、というのである。つまり、「司法自制の原則」を持ち出したのだ。

 

「司法自制の原則」は、国際法で適用される条項である。国家間で結ばれた条約などについて、司法はタッチしないというもの。例えば、韓国大法院(最高裁)が旧徴用工賠償問題で日本企業に支払いを命じた判決は、すでに日韓基本条約で解決済みである。よって、「司法自制の原則」により、こういう判決を回避すべきなのだ。日本が、強硬に反対している理由だ。

 


文政権は、日本の持ち出した「司法自制の原則」を、皮肉にも国内で適用しようというのである。これは詭弁である。検察が、月城原発の停止事件を捜査することは可能である。文政権は、常にこういう詭弁を弄して政権運営を行なってきたのである。

 

詭弁とは、こじつけである。文在寅氏は、韓国進歩派特有の「詭弁」を政策面に多用してきた。間違いを正しいと言い曲げる「詭弁」は、聞く人を惑わすものだ。文氏が青年時代から学業に優れていたことと、この「詭弁」は無縁でない。この点について、先ず取り上げたい。

 

文氏は高校卒業後、ソウル大学入学に失敗。1年の浪人生活をして、4年全額奨学金のあった慶煕大法科大学(法学部)法学科に志望校を変更。首席で合格したという秀才である。そして、兵役を挟んで合格率2.9%と言われた司法試験にも一発で合格したのだ。

 

現実課題に苦手な学校秀才

こういう学業優秀であった面から想像できるのは、文氏が真面目であることは言うまでもない。規則やルールを忠実に守るタイプであることも疑いない。ただ、「学校秀才」がしばしば落込むのは、応用問題を解く能力において難点があることだ。現実問題の解法には、これぞという方程式が存在しない。文氏は、ここで大きく躓いたのである。自から考えることよりも、外からの影響を強く受けていることだ。「1+1=2」というタイプである。

 


文氏の両親は北朝鮮興南市の出身である。朝鮮戦争で米軍が北朝鮮まで進軍した後、撤退する際に米国の貨物船に乗船して興南を離れて韓国へ避難した。文氏は、韓国で生まれている。韓国での両親の生活は苦しいものだったという。文氏は授業料を払えず、学校から帰されたこともあったという。

 

ここからは私の想像だが、両親は親類縁者すべてが北朝鮮で生活していたので、北朝鮮を懐かしみ「在寅少年」に愚痴をこぼしたことは一再ならずあったであろう。文氏の父親は、興南で農協の課長を勤めていた。それなりの学歴があった結果だ。

 

当時の北朝鮮は、日本の残した製造設備を生かし、韓国よりもはるかに高い生活水準であった。それが、韓国へ避難してどん底の生活に突き落とされたのである。父は労働者として働き、母は鶏卵売りの行商をした。過労の結果か、父親は59歳で亡くなっている。母親は、文氏が大統領就任後に死去した。息子の栄達を見ることができたのは何よりであった。

(つづく)