韓国の日本への妄執には驚くべきものがある。1300年前からの日本と朝鮮の歴史を引っ張り出して、日本への恨みを晴らしているからだ。日本を糾弾する過程で、朝鮮の近代化に果たした日本の役割は一切、無視するという片手落ちである。開放後の韓国が、GDP規模で10位にまでこぎつけられたのは、日韓併合による近代化が土壌になっている。さらに、日本の資本と技術で、現在の地位を得たのである。そういう客観的な評価をせず、恨み辛みだけを日本に向けているのは、感情論そのものである。
『中央日報』(1月29日付)は、「日本の韓半島蔑視、1300年続く傲慢と偏見 『朝鮮は我々の臣下』」と題するコラムを掲載した。筆者は、ハン・ミョンギ/明知大史学科教授である。
(1)「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)以降、朝鮮は日本と対等な関係の外交を追求した。しかし朝鮮国王の交渉相手は天皇でなく幕府の将軍だった。朝鮮は両国外交の対等性を確保するため将軍の呼称を「日本国王」にしてほしいと要求したが、日本は応じなかった。天皇を意識したためだ。「天皇の臣下」の将軍を朝鮮国王の交渉相手として維持してこそ、朝鮮を日本の「臣下国」であり「蕃国」として扱うことができるからだ。壬辰倭乱以降、朝鮮通信使が12回も日本に派遣されたが、通信使が天皇に会えなかったのは根源的にこうした背景によるものだ」
将軍は、朝廷から統治権を委任されている形であった。だから、朝鮮国王は、幕府の将軍に会うことになったもの。朝鮮が要求した将軍の呼称を「日本国王」にできるはずがないのだ。戦前までの日本の統治機構を理解していれば、このパラグラフの主張がいかに間違っているか分かるはずだ。
(2)「古代から日本が神国、天皇の国を自負したのは、中国とは対等であり、韓半島より一等級上の国であることを示すためだった。さらに壬辰倭乱以降、日本は自国を「武威の国」と、朝鮮を「武備がない虚弱な国」と規定した。半面、朝鮮は自分たちが中国と最も親しく、中国に次ぐ文明国という事実を日本に対する優越意識の根拠として前に出した。日本は朝鮮を「中国の虚弱な属国」と見なした一方、朝鮮は日本を「中華文明を知らない野蛮国」と罵倒した」
儒教国の朝鮮は、日本を「化外(けがい)の地」つまり、野蛮国扱いしてきた。明治政府が、朝鮮王朝へ「維新政治」を告知するため、「日本の天皇」名義で書簡を送ったが、「天皇」は中国だけの呼称として、日本の書簡受取りを拒否し、紛争が始まったのである。
(3)「このようにお互いを眺める根源的な内心は違ったが、壬辰倭乱後の200年余り、朝鮮と日本は平和な関係を維持した。しかし19世紀以降、西欧列強の軍事的脅威に危機感を強めた日本の知識人はまた天皇を呼ぶことになった。代表的な人物が吉田松陰(1830-59)だ。吉田松陰はロシアとの貿易で失ったものを朝鮮と中国を征服して埋めなければいけないと主張した」
このパラグラフは、間違っている。明治維新は、幕府政治を止めて天皇制による直接統治に戻したもの。王政復古と言われるゆえんだ。ただ、天皇を頂くが「天皇機関説」であり、実態は議院内閣制という英国政治制度を取り入れた。吉田松陰が、関わっていない。
(4)「吉田松陰は夭折したが、征韓論は弟子の伊藤博文(1841-1909)らによって行動に移された。韓半島侵略の象徴的な人物である伊藤博文は自らを豊臣秀吉の生まれ変わりと考えた。伊藤らが韓国を侵略して保護国にし、最終的には植民地として奪取する過程は、過去に神功皇后や豊臣秀吉が掲げた「神国の偉業」を実現したということだ」
伊藤博文は、日韓併合に反対した人物である。当時の、朝鮮李朝の外交政策は、中国派、ロシア派、日本派が争って収拾がつかなかった。英米は、ロシアがこの混乱に乗じて朝鮮半島へ南下するのを恐れ、日本への併合を進めたのが真実である。日本が、率先して併合に動いたのではない。英米は、アジアにおける「守護役」を日本に託したのだ。日本が、日露戦争で勝利を収められたのは、英米の絶大な支援があった結果である。
(5)「1910年11月、韓国を強制的に併呑したことを記念するために発行された雑誌『歴史地理朝鮮号』の編集者は、感激のあまり発刊の辞を書いた。「韓国併合は古代以来の日本の歴史的懸案が解決されたもの」ということだ」
明治政府が、最も恐れたのは朝鮮政治の乱れである。これによって、当時の大国の中国やロシアの進出を許し、釜山まで中国領やロシア領になる安全保障上の危険性を回避したい結果であった。
(6)「こうした歴史を振り返ると、解放以降、韓国人が日本の国王を天皇と呼ぶのは簡単でなかった。韓国政府が1998年から外交的には「天皇」を公式用語といて使っているが、内部では「日王」と呼ぶべきだという主張が少なくない。先日、新任駐日大使が日本に赴任した直後「天皇陛下」という呼称を使ったことをめぐり、また論争が生じている。天皇をめぐる葛藤が1000年以上累積してきた韓日間の特別な歴史と、日本との友好を維持すべき最近の現実の間で、果たしてどこに重心を置くべきなのだろうか」
現在の天皇制は、日本国の象徴=シンボルである。政治的な意味合いはゼロ。こういう現実を理解せず、天皇を「日王」呼ばわりするのは時代錯誤である。日本で、韓国人を「朝鮮人」と呼ぶことを自粛し「韓国人」と呼ぶ裏には、歴史が変わったという認識があるからだ。中国人を支那人と呼ばないのも、歴史認識の転換がある。韓国が、最も欠けているのはこの歴史認識の欠如である。歴史を科学(客観的事実)として受入れない、その幼稚さである。
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2021-01-23 |


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