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中国政府は、危険な青少年管理に動き出している。その一環として、未成年者(18歳未満)のゲームを週末の1時間に限定するという。学習塾規制にも本格的に取り組んでいる。小学生5~6年生の定期試験科目は、従来の「英数国」から英語を外し、習近平思想を必修科目にする。徹底的な民族教育に乗出す決意であろう。

 

社会的な判断で、右も左もよく分からない幼年期から民族教育を行う。ここで浮かび上がるのは、第二次世界大戦前に始まったドイツの「ヒトラー・ユーゲント」(ナチス青少年団)の先例である。1933年に権力を掌握したヒトラーは、ボーイスカウトなど少年少女の団体をすべてナチス傘下の青少年団=ユーゲントに統合した。キャンプ合宿やスポーツ大会などを通じて、1939年にはドイツの若年層の98%が団員になった。

 


こうして、第二次世界大戦中のドイツ兵は、占領地のポーランドなどで数々の残虐行為を行う結果になったが、その基盤は青少年期の歪んだ民族教育にあった。習氏は、この
「ヒトラー・ユーゲント」を参考にして、習近平「親衛隊」をつくる積もりだろうか。

 

『日本経済新聞 電子版』(8月30日付)は、「中国、ゲームは『週末11時間』 強まる青少年管理」と題する記事を掲載した。

 

中国のメディアやゲーム産業を管轄する国家新聞出版署は8月30日、未成年者(18歳未満)によるネットゲームの利用を厳しく制限する方針を発表した。ゲーム企業に対し、未成年者へのサービス提供を週末や祝日などに限定して時間も11時間までとするよう求める。学校での教育内容に加え、家庭の生活でも青少年の管理が強まる。

 

(1)「未成年者のネットゲーム利用は金曜、土曜、日曜と祝日の夜8時から9時までに限定する。実名による利用登録も厳格化するよう求める。国家新聞出版署は2019年に未成年者のネットゲーム利用に関して、祝日に1日3時間、それ以外の日は1時間半を超えてはならないとするといった規制を打ち出していた。その規制をさらに厳格化する」

 

国家権力が、未成年者のゲーム時間まで介入するという前代未聞のことを始める。何が何でも、共産党の指揮下に組み込んで、愛国主義を吹き込む算段である。ここまでしないと、「反習近平」が生まれると懸念しているのであろう。

 

(2)「中国政府は、青少年に対する思想教育を進めている。上海市では9月の新学期から習近平(シー・ジンピン)国家主席の思想を題材にした教材を使う授業を小・中・高生の必修科目として新設する。北京市も今月、当局の認可を受けていない外国教材を義務教育で使用することを禁ずる方針を打ち出した」

 

戦時中の日本を思い起こさせる「椿事」である。習氏は、明らかに「終身国家主席」を務める気持ちである。冷静になれば、分かりそうなことだが、「個人崇拝」は、追詰められた事態に生まれるもの。危険この上ない。この狂った時代がいつまで続くのか。世界中が、自然崩壊を待つしかない。

 


(3)「教育内容に加え、しつけなど家庭内の教育を充実させる法律についても政府は議論しており、子供の生活を細かく管理する方向に動いている。生活面の管理や思想教育の強化を通じて、若者の共産党への関心を高める狙いがある

 

中国は、幼稚園から勉強主体である。日本は情緒教育と躾が主体である。これは、英国の幼稚園教育の伝統を取り入れたものだ。人間性の涵養が目的である。下線は、まさしく「ヒトラー・ユーゲント」育成であろう。

 

(4)「ゲーム企業は当局方針をくみ、先手を打って未成年者の利用時間や課金の制限など自主規制を敷いていた。例えばネット大手の騰訊控股(テンセント)は8月3日にも未成年者のゲーム利用を祝日は12時間まで、それ以外は1時間までに順次制限する方針を発表していた。国家新聞出版署の新ルールはさらに厳格なものだ。テンセントは8月30日、日本経済新聞の問い合わせに対し「当局の最新の要求を厳格に順守する」とコメントした。テンセントは今月実施した2021年4~6月期決算の発表の場で、同社の中国におけるゲーム売上高のうち16歳以下の利用者の比率は2.%だと明かした。各社ともゲーム事業の収益における子供の比重はそれほど大きくはないとみられるが、当局の監視の目が厳しくなる中で難しい対応を迫られる」

 


ゲーム会社は、すでに手を打っているが、さらに政府から規制の指令が出るであろう。住宅ローンの返済など生活コストが高い都市部では、夫婦が共働きで祖父母が幼い子の面倒をみることが一般的である。親の関心が薄い結果、ネットゲームによる生活リズムの乱れや未成年の常識欠如を問題視する声は多いという。その尻が、ゲーム会社に持込まれる構造である。

 

最大の問題は、家庭へ高額な住宅ローンを押し付けた政府の不動産バブル政策にある。そういう根本政策の反省がなくて、現象面だけを取り上げて批判している。暢気な政府である。