生誕140年を迎えた政治家・ジャーナリストの石橋湛山が今、国会議員の間で注目されている。石橋は戦前、太平洋戦争へ反対し非戦や平和への道を訴えた。戦後は、GHQ(連合国軍総司令部)の不当な要求を拒み、マッカサーの手で政界を追放された。首相に就任するも、病気でわずか65日にして退任するほかなかった。来年は、「戦後80年」を迎える。超党派の国会議員が、石橋湛山を学び直そうとしている。将来の指針づくりの参考にしようとしている。
小数与党で出発した石破首相は、いつ不信任の嵐に見舞われるか分らない不安定さを抱えている。だが、石破内閣には閣僚として5人もの「石橋湛山研究会」会員が入っている。要するに、「石橋湛山内閣2.0」という趣もあるのだ。超党派の石橋湛山研究会員80名が、石破内閣を影で支える構図も透けてみえる。
『毎日新聞 電子版』(11月29日付)は、「与野党連携の軸? 『石橋湛山研究会』に石破首相らキーマン集結」と題する記事を掲載した。
戦前を代表するリベラル派言論人で、戦後に首相に就いた石橋湛山(たんざん)(1884~1973年)を学び直す超党派の議員連盟「石橋湛山研究会」に注目が集まっている。石破茂首相に加え、第2次石破内閣の閣僚5人が入会し、国民民主党の古川元久税調会長が共同代表を務めるなど、与野党のキーマンが多数関係しているからだ。「少数与党」となり、野党の協力を得て政権維持を図る石破政権が、湛山研究会を軸に新たな連携を模索するのではないかとの臆測も出ている。
(1)「11月26日、衆院選後初めて国会内で開かれた9回目の会合。古川氏は冒頭で「日本も世界の雰囲気も、湛山が活躍していた昭和20年代の状況に極めて似てきている。だからこそ、今もう一度、湛山の思想を学び直し、現在に生かすにはどうしたらいいか考えていかなければいけない」とあいさつした。この日は、「湛山から何を学ぶか」をテーマにジャーナリストの倉重篤郎氏(元毎日新聞政治部長)が講演し、国会議員ら約40人が聴き入った。参加議員からは「湛山の意向をくんで、他の自民党議員が何を言おうと石破スタイルでやってほしい」「党内野党として主張してきた石破さんらしさを発揮してもらいたい」と、石破首相に対するエールも飛んだ」
石橋湛山の魅力は、理想を掲げ現実を語れる「二刀流」にある。これは、ジャーナリスト出身政治家という特色を100%現している。石橋は、東洋経済の経営者でもあった。経営の才覚も抜群である。現在、投資のバイブルとされる『会社四季報』は、石橋が経営者時代に生まれた。今年で創刊88年になる。『週刊東洋経済』は創刊129年で、日本最古の経済雑誌である。
(2)「東洋経済新報の記者だった湛山は戦前、中国大陸への進出などの領土拡大や軍備増強を目指す「大日本主義」を経済的な合理性がないと批判。平和外交や自由貿易を中心とする「小日本主義」を唱えた。戦後は政治家に転じ、56年に首相就任。1000億円以上の減税を柱とする積極経済策などを発表して大衆的人気を集めたが、翌57年に病に倒れ、在任65日で退陣した」
湛山は戦時中、東条英機首相から最も睨まれ、「廃刊させてやる」とまで嫌われた。だが、1号の「欠号」も出さなかった。言論統制に合わぬように記事の表現に細心の注意を払ったからだ。当時の軍部には、東洋経済のリベラリズムを応援する人たちもいた。用紙の配給で特別の配慮をしてくれたのだ。
(3)「政界では湛山を再評価する動きが広がっており、没後50年に当たる2023年に超党派の研究会が設立された。入会者は今年7月時点で約80人に上る。石破首相も自著で「保守主義の本質は思想ではなく寛容である」と説いた湛山を紹介し、その考えに「学ぶべきことは多い」と記載。29日の所信表明演説でも、冒頭で湛山に言及した。湛山を敬愛するのは石破首相にとどまらない。研究会には共同代表を務める岩屋毅外相のほか、村上誠一郎総務相、中谷元・防衛相、平将明デジタル相、伊藤忠彦復興相が入会。古川氏や岩屋氏とともに共同代表を務める立憲民主党の篠原孝元副農相は、石破内閣を「石橋湛山研究会内閣だ」と評する」
湛山は晩年、病身を押して中国へも何度も足を運んでいる。東西対立の無益を説くためだった。周恩来(首相)とたびたび会談し、「日中米ソ」の平和同盟を提唱したほどだ。中国に、当時の「石橋人脈」へ繋がる人がいるかどうかだ。湛山は、決して「親中派」でない。厳しい意見を伝えた。当時の中国は、それを聞き入れたのだ。
(4)「超党派の研究会は「厳然たる勉強会の場」(自民重鎮)とする一方で、別な思惑も入り交じる。古川氏は取材に「湛山の思想を中心に国を運営していかなければいけないという思いの人が集まっている」とした上で、「(政界)再編する時の軸はここしかないと思っている。石橋湛山の思想に『この指止まれ』で集まる」と話し、政界再編の際には研究会が軸になり得るとの考えを示した」
国会の超党派で80人もの議員が、石橋湛山研究会へ結集している。これは、政界では異例の「横断組織」である。国際情勢が緊迫化すればするほど、「石橋思想」が生かされる局面を迎える。湛山は早稲田の哲学科で、米国哲学(プラグマティズム)を学んだ。これが、生涯の思想を柔軟にさせた背景であろう。私は、この湛山が出席した座談会を二度、東洋経済社員として傍聴した。柔軟な発想による発言であった。
(5)「衆院選で敗北し、94年の羽田孜内閣以来30年ぶりに「少数与党」となった石破内閣は、内閣不信任決議案が可決されるリスクを常に抱えている。ただ、石破首相と同様に湛山を敬愛する研究会メンバーの野党議員は「不信任案が出されたり、石破体制がガタついたりした時には、この研究会の枠組みでバックアップしてもいい」と話し、連携の可能性も示唆した」
石橋湛山研究会80人の与野党メンバーは、石破内閣が「危機」となれば始動するという。そういう危機の訪れないことを望みたいが、湛山流に解釈すれば日本政治近代化の「好機」かも知れない。
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