テイカカズラ
   

ドイツのメルケル前首相が、回顧録『自由・記憶1954~2021』を昨年11月、世界32カ国で同時出版した。1954年に西ドイツのハンブルクで生まれ、東ドイツで成長し、2021年に16年間務めた首相職を退任するまでの経験を綴っている。この中で、中国の習近平国家主席に関する記述が注目を集めている。習氏の「多国間主義」は口だけと厳しい評価だ。「中華主義」(中国が世界の中心)を臆面もなく出しているというのである。

『朝鮮日報』(12月17日付)は、「メルケルが見た習近平『多国間協力は口だけ』」と題する記事を掲載した。

メルケル前首相は欧州では代表的な親中派の人物として挙げられます。しかし、習近平主席と中国に対する評価は冷ややかでした。メルケル前首相は「集団の利益のために個人の自由を制限できると考える点で、習主席と根本的な見方の違いを感じた」と記しました。

(1)「東ドイツで育ったメルケル前首相は習氏と会談し、中国の政治体制や共産党の役割についてさまざまな質問を投げかけたということです。当時を振り返ったメルケル前首相は、「社会のある集団が全ての人のための最適の道を把握して決定することはできず、それは自由の欠乏につながる。その点で習主席と価値観の違いを感じた」と書いています」。

メルケル氏は、共産主義社会で育っている。それだけに、中国共産党へは厳しい視線を向けていたことが分る。だが、外交と経済ではそれを押し殺していたのだろう。

(2)「そうした認識の違いにもかかわらず、メルケル前首相は経済や気候変動といった分野を中心に中国と現実主義的な外交を行いました。16年間の在任期間に12回も訪中し、胡錦濤、習近平両主席と会談しました。テレビ会談も10回行いました。訪中の際は北京以外に上海、南京、西安、成都、瀋陽などの地方都市も訪れました。退任を控えた2021年10月13日のテレビ会議で習主席は「メルケル首相は中国国民の長年の友人だ。情と義理を大切にする中国人は長年の友人を絶対に忘れない」と述べました」

習氏は、メルケル氏へ「中国国民の長年の友人」として離別の言葉を贈っている。だが、この「長年の友人」であるはずのメルケル氏は、中国へ批判の目を忘れなかった。価値観が異なるとは、「肝胆相照らす」仲になれない証明でもあろう。

(3)「回顧録には習主席が掲げる「中国夢」に関する内容が出てきます。メルケル元首相は2013年の習主席就任以来、あらゆる問題について討論する機会を持ったといいます。当時習主席は2000年間の人類の歴史について語り、「20世紀のうち18世紀は中国が世界経済と文化の中心だった」という点を強調したということです。19世紀の初めから遅れたが、それまでは世界の中心だったというのです」

このパラグラフは、極めて興味深い。「中華主義」の原点が、ここに現れている。習氏と始皇帝の頭脳構造は、寸分も異なっていないのだ。欧米社会の存在が、習氏の頭からはすっぽりと抜け落ちている。

(4)「習主席は、「歴史的に正常な状態に中国を戻すべきだ」とし、それを「中国夢」と呼びました。2017年に習主席がトランプ大統領に会った席上、「韓国はかつて中国の一部だった」と発言したことが思い出されます。中国夢を掲げる中国の攻撃的な動きについては批判的な見方を示しました。習主席は就任初期から東アジアと欧州、アフリカをつなぐ「一帯一路プロジェクト」を推進しました。習主席は多国間主義を実現するためのプロジェクトだと説明しましたが、メルケル前首相の考えは違いました。開発途上国に対する中国の投資が開発途上国の対中依存度だけを高め、開発途上国の主導権を大きく縮小させたからです」

習氏は、「西側没落・中国繁栄」を心底、思い込んでいるようだ。これは、悲劇的なまでの「錯誤」である。中国は、自らが繁栄して周辺国を「属国化」するという歴代中国王朝の描いてきた外交路線を踏襲している。

(5)「南シナ海全域に領有権を主張する「九段線」を引き、その内側にある島と海はいずれも中国の管轄だと主張したことも批判しました。2016年7月に国際常設仲裁裁判所が「中国の九段線主張は根拠がない」という判決を下したにもかかわらず、国際法を無視して南シナ海で勢力を拡大し続け、ベトナム、フィリピン、マレーシアなど周辺国の反発を招いたとの指摘です。メルケル前首相はさまざまな事例に言及し、中国の政治家は多国間主義を口にしているが、「口だけだ」と切り捨てました。口では多国間協力と相互利益を掲げるが、実際には力で全ての問題を解決しようとしているというのです。現実主義の政治家らしい冷静な評価でした」

中国は、多国間協力と相互利益を掲げている。実際は、力で全ての問題を解決しようとしている。メルケル氏が、16年間の首相職において中国と接触したことで得た結論でもある。中国の「ニーハオ」の裏に、「剣」が隠されていることに警告を発しているのだ。