トランプ米大統領が4月2日に発表した「相互関税」は、東南アジアなどに生産拠点を設けた中国の製造業に大きな衝撃を与えている。中国の広東省とカンボジアに工場を持つハンドバッグ・メーカー関係者は、「カンボジアから米国への輸出品の関税が49%に引き上げられたら、工場の存続は難しい」と危機的状況が報じられている。
『東洋経済オンライン』(4月17日付)は、「東南アジアの中国製造業を『トランプ関税』が翻弄」と題する記事を掲載した。中国『財新』の転載である。
トランプ政権の相互関税は、東南アジア諸国の対米貿易黒字が拡大の一途をたどっていたため、域内のほとんどの国に対して予想を超える高関税が示された。
(1)「カンボジアに提示された49%の相互関税率は、トランプ政権が発表した国別の税率の中でアフリカのレソト(50%)に次ぐ高さだ。また、ラオスは48%、ベトナムは46%、ミャンマーとスリランカは44%と、カンボジアの近隣諸国もそろって高率の相互関税に直面することになった。2024年のカンボジアの対米輸出額は、前年比11.4%増の約99億2000万ドル(約1兆4838億円)だった。それに対し、同年の米国からカンボジアへの輸出額はわずか約2億6000万ドル(約389億円)であり、圧倒的な輸出超過だ」
米国は、カンボジアへ相互関税49%を課した。中国企業の迂回輸出が多いとみた結果だ。これだけの高関税が掛けられると、「息の根」を止められるほどの状態という。
(2)「対米輸出の主要品目は繊維製品、アパレル、靴類などであり、カンボジアの輸出経済の柱になっている。それらを生産する工場の中には中国資本も少なくない。「米国は第1次トランプ政権の時代から(中国の輸出や東南アジアを介した迂回輸出に対する)関税を何度も引き上げてきた。わが社がカンボジアに工場を建設した時、ハンドバッグの関税はほぼゼロだったが、現在は10%を超える」。前出の関係者はそう話し、相互関税による負担の上乗せに頭を抱えている」
カンボジアの対米輸出の主要品目は、労働集約の軽工業である。これによって、辛うじてドルを稼いできた。それが49%関税である。事業継続が困難になっている。
(3)「トランプ政権は、インドに対しては相互関税を東南アジア諸国よりも低い26%に設定した。そのため、この関係者はアメリカのバイヤーの調達先が東南アジアからインドに移ると予想し、次のようにこぼした。「東南アジアに工場を持つ中国の服飾品メーカーは、(工場をたたんで)帰国して新たな顧客を探さざるをえないだろう。とはいえ、米国に代わる大市場を短期間で見つけるのは困難だ」と指摘する」
中国の相互関税は、26%と他のアジア諸国よりも低率である。これから、インドが受け皿になって東南アジアの工場が移転して来るとみられる。
(4)「2025年1月に発足した第2次トランプ政権は、中国からのすべての輸入品を対象に、2月と3月に合わせて20%の追加関税を課した。中国国内の輸出企業にとっては、それだけでも大変な重荷だ。靴類の輸出を手がける山東省青島市の貿易業者は財新記者の取材に対し、20%の関税の負担を自社と顧客で折半していると明かした。「このご時世に、10%を超える利益を上げている会社がどれだけあるのか。わが社の受注も赤字だが、(注文を失って)廃業に追い込まれるよりましだ」と、この貿易業者は嘆く」
中国山東省の靴メーカーは、これまで20%の関税を自社と顧客の折半負担で凌いできた。だが、145%関税になると、商談中止となろう。高額関税を負担しきれないからだ。
(5)「中国の製造業が、生産拠点を海外に移す流れは、“トランプ関税”の影響で変わるのだろうか。ミャンマーでアパレルの生産と輸出を手がける関係者は、財新記者に対して自身の見方をこう語った。「今の中国の若者は、アパレル工場で働きたがらない。仮に米国の追加関税がなくても、中国で新たな労働力を見つけられなければ、工場を海外に移転するしかない」と指摘する」
中国では、若者の高学歴化で工場労働を敬遠している。労働力不足も手伝って、軽工業は淘汰の運命だ。
コメント
日本の鈴木正三・石田梅岩のように、職業倫理を説いてくれる人がいなかったんでね。
中国は、14億もの人口と沢山の資源があるのだから、くだらないメンツに拘るより、国民の働く意欲を引き出す工夫をすれば、アメリカ等気にすることなく立派に成り立つ国だと思われますが、良きリーダーに恵まれない国なんですね。
中国は、始皇帝によって農本主義を根幹とし商工業を弾圧しました。理由は、商工業が利益を貯めて謀反に走るという理由です。ただ、夏時代は優れた商業倫理観がありました。これも始皇帝により弾圧されました。こういう経緯で、中国には商業倫理が育たなかったのです。現代でも、偽物づくりに没頭する裏には、2300年以上の倫理観欠如が災いしています。
日本は、江戸時代に生まれた商業倫理が、ドイツのマックスヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に近似したものです。日本人の精神性の高さを証明しているのでしょう。
コメントする