テイカカズラ
   

台湾の第一野党代表である鄭麗文・国民党党首が4月8日、南京の孫文の墓を参拝した。鄭氏は、孫文の墓前で日本に11回も言及して批判したという。孫文が、革命運動を始めてから官憲に追われて身を隠した先は日本である。鄭氏は、宮崎滔天などが孫文を物心両面の支援をした歴史的事実を忘れて日本を批判したのだ。これには、泉下の孫文も驚いたであろう。鄭氏は、中国へ媚びるために「日本を売った」のだ。これでは、日本へ来るつもりはないのだろう。

 

『中央日報』(4月9日付)は、「中国を訪問中の台湾・国民党主席、日本に11回言及し批判…あすにも習主席と会談か」と題する記事を掲載した。

 

5泊6日の日程で中国を訪問している鄭氏は8日午前、両岸(中台)双方が「国父」と認める孫文の墓所である中山陵を参拝した。身長が178センチという鄭氏は、参拝後に3000字に及ぶ長文の演説文を約18分間朗読し、8回も声を詰まらせたと台湾メディアは報じた。

 

(1)「鄭氏は、演説で「孫文先生が死後、国際舞台で世界的偉人の仲間入りを果たしたのは、孫先生が満清を倒してアジア初の民主共和国である中華民国を建国したからだけでなく、世界の弱小民族のために生涯堅持した信念のためだ」と述べ、台湾の国号である中華民国に言及した」

 

孫文の評価は、彼の残した『三民主義』にある。現代の中国は、この三民主義からかけ離れた政治体制である。台湾こそ、孫文の主義主張に沿った国づくりである。鄭氏は、孫文の墓前でこの三民主義を語れば、習近平体制の批判になるので言及を避けたのだろう。代って、孫文を庇護・支援した日本を批判した。本末転倒である。

 

(2)「あわせて異例にも日本に11回言及した。鄭氏は「孫中山(孫文)は逝去する4カ月前、大アジア主義を提示した」とし「日本が侵略の野欲を隠すために宣伝した大東亜共栄圏とは異なり、アジア民族連盟の形態でアジアの弱小民族の地位向上を訴えた」と述べ、過去の日本帝国主義を批判した。国民党が、台湾で引き起こした白色テロ「2・28事件」と38年間続いた戒厳統治にも言及した。また、台湾海峡の分断を130年前の日清戦争と日本帝国主義のせいにした」

 

日本は台湾を植民地にしたが、利益収奪を目的にしなかった。中国の行政が及んでいなかった台湾が、近代化できたのは日本の努力によるものだ。教育制度の普及を行い「台湾帝国大学」まで設立した。台湾が現在、半導体で世界1位に成長できた裏には、近代教育による高い知性が支えているのだ。鄭氏は、自らの知性の根源がどこにあるかを静かに考えるべきだろう。第4代中華民国総統になった李登輝氏は生前、繰返し日本の統治を高く評価していた。それは、日本による近代化教育が、台湾人を目覚めさせたとしている。

 

(3)「台湾の大陸委員会はこの日午後、書面による立場表明を通じて「鄭主席が隠すようにして中華民国に言及した」と指摘した。また「意図的に中国共産党の歴史叙述に呼応した」とし、「これは台湾国民の認識とは異なる、非常に遺憾なことだ」と強調した。台湾の政権交代を促す掛け声も登場した。中山陵で鄭氏一行を見た中国の観光客は「鄭麗文主席、頑張れ」「国民党ファイト」「28年に民進党を追い出してほしい」といったシュプレヒコールを叫んだと、香港の明報などが9日、報じた」

 

鄭氏の演説は、台湾の大陸委員会から批判されている。「意図的に中国共産党の歴史叙述に呼応」したという批判だ。「中華民国」という国名を決めたのは孫文である。国家理念(五権憲法・三民主義)と結びつけたものだ。

 

(4)「中国ではこの日、江蘇省と上海市の党書記が相次いで鄭氏と会談した。信長星・江蘇省党書記は「2005年の連戦・元国民党主席による『平和の旅』の出発点が、ここ南京だった」と言及した。午後に会談した陳吉寧・上海市党書記は「両岸の同胞は血は水よりも濃い一つの家族だ」と歓迎した。鄭氏は「今の世代は、若者世代の障害物ではなく、助力者にならなければならない」と強調した」

 

同じ民族である中国と台湾が、統一されることは望ましい。だが、政治体制は全く異なるのだ。三民主義の台湾と独裁政治の中国が、同じ器に収まるはずがない。中国が民主化されない限り、台湾が受け付けないであろう。鄭氏は、いったい何を夢見ているのか。三民主義を捨てるつもりならば、「反逆」というレッテルを押されるであろう。孫文を口にする資格がないのだ。孫文を隠れ蓑に使ってはならない。