中国人民解放軍で、「習近平思想宣伝」の最高責任者である、中央軍事委員会政治工作部主任の苗華が停職処分になった。習氏は、17年近く福建省で勤務し、最後は福建省長になった。苗華は、この福建省生まれで、同省内に駐屯していた陸軍に所属していた。習氏にとっては、身近な存在の人物で気心を知り抜いていた。こういう関係から、政治工作部主任という「大役」を担ってきたのだ。
その苗華が解職となった。習氏は、自らの政治基盤に何らかの変化が起こっているために、守り切れなかったという見方もできる。「鉄のカーテン」で守られている「習御殿」になんらかの変化が起こっているのであろう。
『日本経済新聞 電子版』(12月4日付)は、「習氏も守り切れない軍内代理人、泣いて馬謖を斬る力学」と題するコラムを掲載した。筆者は、同紙の中沢克二編集委員である。
盤石な権力基盤を築いたはずの中国国家主席、習近平。軍の最高指揮官でもあるその習が、陸・海・空・ロケット軍など全軍を政治的にコントロールするため大抜てきした「軍内代理人」を今回は守り切れなかった。
(1)「中央軍事委員会政治工作部主任の苗華を停職にした。69歳の大ベテランで、軍最高位の上将(注:大将)である。政治工作部主任は、軍の中でいわゆる「習近平思想」を含む政治イデオロギー、組織管理、人事を取り仕切る重職である。習に極めて近いと目されてきた苗華は、重大な軍事行動を決める際、必ず関わる共産党と国家の中央軍事委員会のメンバーだ。中央軍事委の委員は同委主席の習を含めてたった6人しかいない」
苗華は、中国人民解放軍における習近平氏の「代理人」的な存在である。その枢要人物が汚職で追放された。
(2)「注目すべきなのは、福建省生まれの苗華が習の周囲を固めている「福建閥」の中核人物である点だ。「福建閥」は、同じく習に近い「浙江閥」をも抑えて、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。「『泣いて馬謖(ばしょく)を斬る』とは、まさにこのことだ」。今、中国内の一部では、こう噂されている。三国時代、蜀の国の軍師だった諸葛孔明を巡る故事だ。信頼する部下でも、規律を厳正に守るため、私情を排して処分せざるをえなかったという意味である。容疑の詳細は不明だが、汚職・腐敗その他の重大な規律違反であるのは間違いない」
習氏が、「泣いて馬謖を斬る」ほかなかったのはなぜか。習氏の政治基盤が絶対的であればもみ消したであろう。それが、できなかったのだ。そこに、事態の深刻さを感じる。習氏の政治基盤が絶対的でなくなっている感じもする。
(3)「現在、軍要職にあるベテラン幹部の大半は、汚職・腐敗から逃れられない。多くは過去の問題だ。だが、この構造的な腐敗体質は、苛烈な「反腐敗」運動を掲げた習時代に入った2012年以降も一掃できないのが現実だ。今回の苗華の重大な規律違反認定には、従来の数多くの軍大物摘発とは別の意味を持つ。習は権力を固めるため「反腐敗」を利用してきた面もある。摘発対象は、自らに忠誠を誓わない目障りな勢力が主だった。従って、これまで本当に信頼する側近を切ることなどなかったのだ」
習氏は、政敵を倒すとか、自分に忠誠を誓わない相手を追放する手段で「反腐敗」を利用してきた。その恨みが、充満しているだけに「身内」を追放せざるを得なかったとも読める。
(4)「過去12年間、習体制下の反腐敗運動を観察してきた識者は、「今回の異変は、(習と一定の距離がある)別系統の勢力から鋭い告発があり、それを(習サイドも)無視できなかった。そう考えれば腑(ふ)に落ちる」と指摘する。汚職・腐敗が存在するなら、習との距離は関係なく、誰もが同罪である。そういう論理が初めて通ったことになる。苗華への驚きの処断は、軍の指揮権を持つ習から直接、強い指示があり、しかも、それは突然だったと推測できる」
習氏が、「身内」ばかり取り立てていることへの反感も強いはずだ。その反発が、今回のような習「腹心」を直撃する。要するに、組織は一枚岩でなく反目し合っているのだろう。習氏が、かつて李克強首相(当時)と反発し合っていたように、組織運営者としての能力に欠ける面があるに違いない。
(5)「故事である「泣いて馬謖を斬る」は、戦闘中の軍団の上司と部下の美談として長く語り継がれてきた。今回の習に極めて近い苗華への突然の処分が、本当に美談なのかは、時を経なければ判断できない。「反腐敗」を旗頭にしてきた習の意を受けた軍内代理人が、その腐敗、規律違反で処分される。まさに「ミイラ取りがミイラになった」のだ。この大事件をきっかけに中国政局の力学が微妙に変化し、過去と違うベクトルで動き出す可能性はないのか。一時も目を離せない局面である」
中国経済は、未曾有に不況に直面している。国内に不平不満が渦巻いるであろう。「反習近平派」が生まれても不思議はない。そういう不満分子が、習氏の腹心の「首」を狙ったとみれば、一つの「ストーリー」が生まれる。決して「泣いて馬謖を斬る」といった正義論で終る話ではない。「続編」があるに違いない。