韓国の文大統領は、任期最後の閣議で「日本に対抗して誰も揺るがせない国をつくった」と自画自賛した。最後の最後まで、「反日大統領」であることを国民に向けて明らかにしたのだ。次期政権が、日本との関係改善に動いていることをけん制したのであろう。
文氏は、ロシアのプーチン大統領に似た心理状態のように見受けられる。プーチン氏は、ウクライナを毛嫌いして、ついに軍事侵攻にまで暴走した。文氏も、韓国に国力があれば日本へ攻め込みたい心境であったに違いない。ここまで、日本を嫌った心底には、深い日本への劣等感があるはずだ。それが、こういう「反日発言」になったのであろう。
『朝鮮日報』(5月3日付)は、「文大統領が任期5年を評価『日本に対抗し“誰も揺るがせない国”をつくった』」
(1)「退任を控えた文在寅(ムン・ジェイン)大統領が5月3日に行われた国務会議(閣議に相当)で、これまでの5年を振り返り「わが政府の5年は、国家的危機を、汎(はん)政府的な力量を総動員して克服した時間だった」として「日本の不当な輸出規制に対抗し、素材・部品・装置分野での自立の道を歩みながら『誰も揺るがせない国』の土台を確実に築いた」と述べた。
文氏は、「日本の不当な輸出規制に対抗し」としている。発端は、韓国裁判所による旧徴用工に対する日本企業への賠償支払い判決であった。この案件は、文氏が判決直前に「人権に時効はない」と演説して、裁判所へ無形の圧力をかけるという政治的意図に基づいていた。徴用工問題は、日韓基本条約(1965年)で解決済みである。それを蒸し返して、文大統領は日本へ一矢報いたかったのだ。
文氏は、「日本は加害者、韓国は被害者である。加害者の日本が、韓国に批判されても言い訳することはできない筈」という強い信念を持ち続けている。刑事裁判の被告と原告の立場を堅持して、日本へ立ち向かったのである。この狭量さが、日韓関係を破綻に追いやった。裁判所という舞台を借りて、日韓基本条約で解決済みの問題を蒸返しさせたのだ。
判決は、この文大統領の期待に見事に応えた。日韓基本条約での無償3億ドルの名目は「経済協力金」である。「賠償」という文言がない以上、日本企業が支払う義務がある、としたのだ。日韓基本条約では、徴用工を意味する文言が入っている。こういう韓国の「三百代言」的な判決に日本が応じる訳がない。これが、日韓紛争の原点である。
文氏が学生時代を送った1980年代は、反日・反米闘争が盛んであった。文氏は、火炎瓶闘争に参加している。そのときの日本嫌いが終生、文氏の脳裏を離れなかった。政治的に成長しなかった大統領と言っても良いだろう。
日本は、この問題で韓国政府へ再三にわたり話合いを申し入れたが、ことごとく無視して取り合う姿勢を見せなかった。文氏の頭は、「原告・被告」の関係であった。日韓関係という外交関係を棚上げしていたのだ。
ここで日本は、「政経分離」という視点から「政経不分離」へ舵を切った。韓国への半導体主要3素材の輸出手続きの厳格化である。韓国を「ホワイト国」指定から外したのだ。これまでの「一括輸出承認制」を止めて、「個別輸出承認制」へ切り変えた。
日本が指定している「ホワイト国」は、すべて親日国である。紛議が起こっても、すぐに話合いで解決できる国ばかりである。ここへ、「反日」の韓国が紛れ込んでいた。どういう事情で韓国を「ホワイト国」へ加えたのか分らないが、あれだけ騒ぎを起す韓国を「ホワイト国」へ加えたこと自体が間違いである。
韓国はこの事態に対し、「輸出禁止」と騒ぎ立てた。実態は、「輸出手続きの厳格化」であり、「輸出禁止」ではない。現に、韓国の必要とする量はすべて輸出承認されているからだ。韓国は、こういう実情を知りながら「反日不買運動」を始めた。「NO 安倍」「NO JAPAN」という幟をつくって、ソウルの繁華街へ押し立てた。文大統領は、「二度と日本には負けない」と強硬演説をした。
日本が、韓国に行なった「政経不分離」は、韓国の「反日ムード」を鎮める役割を果たしている。韓国は、「世界で唯一、日本をバカにできる国」という間違った観念を持っている。韓国が何をやろうとも、日本の「政経分離」で実害はなく、安心して反日を行なってきた背景だ。だが、日本の「政経不分離」政策によって、韓国の政治的な不条理な問題へは、経済的損失の伴うことを通告したのである。この効果は今後、永遠に廃ることなく生き続けるであろう。こうやって、韓国へ歯止めをかけたのである。
文氏は冒頭の国務会議で、「素材・部品・装置分野での自立の道を歩みながら『誰も揺るがせない国』の土台を確実に築いた」と発言している。これは、全くのウソである。試みに、日本が前記の3部品の輸出禁止を行なったらどうなるか。韓国の半導体産業は、操業停止に追い込まれる。韓国経済は暗闇になるのだ。
そういう重大な関係を持つ日本に対して、言いたい放題という姿勢は、決して褒められたものでない。そこには,自ずとブレーキがかかるべきである。文氏は、率先してそのブレーキを外して、日本批判を拡大した大統領である。一国の元首が行なうべき姿勢ではなかった。反日を国内政治に利用したと批判される理由である。
日本にとっては、「鬼門」であった文在寅大統領との付き合いが、ようやく終わろうとしている。新政権の日韓融和姿勢に期待したいが、日本は「政経不分離」というブレーキを忘れてはならない。そういう毅然としたもの底に持つことで、自制した外交が成立するからだ。