中国の習近平氏にとって、ドイツのメルケル首相は得がたい仲間である。これまで、メルケル氏が中に立って、中国とEU関係を繋いできた。昨年末、7年越しであった中国とEUとの包括的投資協定が、調印に持ち込めたのはメルケル氏がEU議長国の特権を利用したものだった。
このメルケル氏の神通力が、ついに賞味期限切れを迎えたようである。メルケル氏は、秋に政治家を引退表明しており、「レームダック症状」を見せ始めているのだ。EUが、人権弾圧で中国への怒りを見せており、EU議会は包括的投資協定の批准手続きを中止してしまった。4月に、習近平氏がメルケル氏へ電話を掛けてきたが、その効果はなかった。
『ウォール・ストリート・ジャーナル』(5月7日付)は、「欧州、対中国で見え始めた変化」と題する社説を掲載した。
米大統領は、好戦的な態度を強める中国に対抗するため、米国の伝統的な同盟国と協力したいと考えている。欧州連合(EU)が独自の道を歩もうとしている中、大西洋同盟を復活させる上で中国が一役買っている。
(1)「EU欧州委員会のバルディス・ドムブロフスキス委員(通商担当)は4日、AFP通信の取材で「われわれは現在、ある意味(中略)欧州委員会側からの政治的な働きかけを中断している」とし、「協定の批准を促す環境にない」と述べた。同氏が言及しているのは、欧州と中国が互いの市場へのアクセスを拡大することを目的とした「包括的投資協定」のことだ」
EUは、中国市場を重視してきた。とりわけ、トランプ政権下ではEUと対立していたので、余計に中国市場を重視せざるを得なかった。だが、米国のバイデン政権はEUとの協力を呼びかけている。EUと中国は、人権問題で互いに制裁を掛け合っている。要するに、不仲状態になっている。対中の包括的投資協定の魅力が減殺してきたことは事実だ。
(2)「ジェイク・サリバン氏は、米大統領補佐官(国家安全保障担当)に就任する数週間前、この協定についてEUに「早期の協議」を要請した。欧州はこれに対し、中国との基本合意達成を発表することで応じた。しかし、この協定はまだ欧州議会とEU加盟27カ国首脳による承認が必要だ。この手続きは3月、複雑さを増した。EUは新疆ウイグル自治区の人権侵害に関与した中国当局者4人に対し、制裁を科すことを発表。中国はこれを受け、中国共産党に批判的な欧州議会議員を含む欧州人に制裁を発動した」
米国バイデン政権は、包括的投資協定の署名を待って欲しいと要請したが、反米国のメルケル氏が振り切って署名に持込んだもの。EU諸国には、中国警戒国も多くドイツの「独走」に批判的であった。それゆえ、批准の段階で拒否するという戦術を練っていた国も多かった。
(3)「批准投票をする当局者に制裁を科している国との協定を批准するのは難しい。しかし、アンゲラ・メルケル独首相は今もそれを試みている。同氏は先月、中国の習近平国家主席とエマニュエル・マクロン仏大統領とビデオ会談を行った。ドイツ側の声明は人権侵害について言及していなかった。フランス側は人権侵害が話題に出たことを後に明らかにしたが、メルケル氏は今年のドイツ総選挙前に協定を固めようと人権問題を目立たせないようにしている」
マクロン仏大統領は、メルケル氏に誘われる形で包括的投資協定へ署名したが、その後の国内情勢が変わってきた。来年の大統領選で、「超右翼政党」が支持率を高めてきたのである。こうなると、中国の包括的投資協定に賛成しているゆとりはなくなった。拒否の方向へ傾いている。
(4)「欧州は米国と同じく、中国との貿易問題を解決したがっており、これは理解できる。ドイツの昨年のモノの対中輸出額は1000億ユーロ(約13兆1600億円)近くに上る。貿易協定は理論上、自動車や通信、医療などの産業にビジネスチャンスをもたらす。しかし、メルケル氏の「貿易を通じた変革」という理念――かつて米国が中国に期待したもの――は、もはや時代遅れだ。経済関係では、中国の往々にして略奪的な重商主義や知的財産権の窃盗、サイバー工作活動などを考慮する必要がある。中国は、昨年の欧州による米新政権に対する冷遇を地政学的な大勝利とみなした」
メルケル氏の貿易による中国民主化論は、もはやメッキが剥がれてしまい、誰も聞く人がいなくなった。EUの大勢は、中国との包括的投資協定を拒否する方向へ傾いている。5ヶ月で情勢は大きく変わった。
(5)「EU当局者の一人は4日、協議は「完全に中断されているわけではない」と言明し、「批准は状況の進展による」と述べた。メルケル氏とその仲間は、協定のために戦い続けるだろう。しかし、欧州議会やドイツの政界、欧州市民の間では懐疑的な見方が広がっている。欠陥のある協定の成立に苦闘するよりも、欧州はグループを組み直し、米国や他の志を同じくする国々と貿易で統一戦線を張って中国にアプローチする方が得策だろう」
EUと米国との対立は、一時的で終わりそうである。中国には、価値観が異なり何を企んでいるか分からない不気味さがある。こういう平凡な意味で、EUは米国重視の結論に落ち着いた。
(6)「『米国人は、他の全ての可能性が尽くされた後は、常に正しいことをすると信頼できる』というウィンストン・チャーチル元英首相の有名な言葉がある。チャーチルが本当にこれを言ったかどうかは分からないが、バイデン氏が欧州の友人に対して同じように感じているとしても、理解できる」
チャーチルは、「米国人は他の全ての可能性が尽くされた後は、常に正しいことをすると信頼できる」と言ったという。一時の米欧対立で、米国は困難立場に立たされた。この経験を生かして、バイデン政権は同盟を大事にすることの重要性を学んだ、というのだ。