韓国は、13日から始まったイタリアでのG7サミットに招待されなかった。自称「G8国」してきただけに、「カナダを外して韓国をメンバーに入れろ」との主張まで出ている。G7が、欧米主要国で構成されているが、韓国は半導体主要国のメンツにかけても出席したいのであろう。
『中央日報』(6月13日付)は、「『カナダ外してでも韓国入れろ』、拡大する『韓国G7追加』議論」と題する記事を掲載した。
韓国のG7(主要7カ国)加入議論が拡散している。G7は中国やロシアをはじめ、北朝鮮・イランなどが急激にブロック化して国連など多くの国際機構が無力化している状況で事実上唯一国際秩序に対する方向性を提示している多国間協議体と評価されている。
(1)「米戦略国際問題研究所(CSIS)は12日(現地時間)に公開した報告書で「G7を韓国とオーストラリアを含んだG9に拡大するべき」と提言した。両国を追加したG9体制への拡大を提案した理由は、G7の影響力の弱まりと欧州に偏重された現体制の限界と関連がある。1975年にカナダ(1976年加入)を除くG6でスタートしたこれらの国内総生産(GDP)は、全世界の60%を占めた。先進国首脳の年次会議は言葉どおり「ゲームのルール」になった。しかし、G7のGDP占有率は1992年66.9%にピークを迎えた後、43.4%に減少した。1970年代に3%だった中国のGDP占有率が18%に急増したためだ」
G7加盟国の増減問題は、全加盟国の賛成が前提である。かつて、トランプ氏が米大統領当時、韓国をG7に加えると発言したが立ち消えになった。全加盟国の賛成がなかったからだ。韓国は、メンツで加盟したいとしているが、左派が政権を取ったときの外交姿勢が不明である。韓国が中ロ擁護論を主張すると、「全員一致の原則」が崩れるのだ。韓国外交が成熟しない限り、G7参加論は現実味を持たないだろう。最大の鍵は、日韓関係が安定しているかどうかだ。
(2)「このため中国と競っている米国は未来の経済・安全保障を左右するAI(人工知能)と最先端半導体技術を保有した韓国や台湾などアジアのパートナーが切実になったが、G7は依然と1970年代経済の中心だった欧州に集中している。欧州の強い影響で欧州委員会委員長(1977年)と欧州理事会議長(2010年)まで準会員国として参加し、現在G7の加盟国9カ国中6カ国を欧州が占めている。CSISはこれに対して「G7でアジアを代表する国はひとつ(日本)だけで開発途上国の声も排除されている」とし「このような構造ではグローバルガバナンスを先導できない」と指摘した」
世界の安全保障論から言えば、EU首脳が参加することは必要であろう。EU参加によって、ロシアによるウクライナ侵攻という高度の政治外交問題で対処できるからだ。韓国に、地球儀的外交センスがあるとは思えないのだ。
(3)「特に韓国については「新興技術サプライチェーンを保護するために重要な役割を果たしている」とし「一部G7加盟国よりも優秀な成果を示している」と強調した。CSISは引き続き韓国とオーストラリアの新規加盟国加入のために2席を占めるEU関連機構の会員資格を統合するよう提案した。従来の欧州国の一部を排除できないなら、EUが「席」一つを空けろという論理だ」
韓国は、半導体という視点から世界を眺めている。ならば、台湾もG7のメンバーになれるはずである。外交センスの有無が、G7参加国には欠かせないのだ。
(4)「G7に韓国を追加しようという議論が大統領選挙を控えた米国で超党派的に出てきていることも注目すべき点に挙げられる。韓国のG7加入議論は2020年5月当時トランプ米国大統領が韓国をはじめとするオーストラリア、インド、ロシアなど4カ国を追加したG11体制への転換に言及して始まった。しかし関連議論はバイデン政府に入って事実上中断され、昨年、広島サミットを控えて韓国の追加の可能性が提起された時でさえ、国務省は「加盟国の変化に関連する議論は分からない」といって線を引いた」
韓国が、G7に参加するには世界安定への貢献が問われる。朝鮮半島から出られない韓国外交が、世界問題を議論する資格があると思えないのだ。
(5)「トランプ再執権時、大統領補佐官候補に挙げられているエルブリッジ・コルビー氏(前国防総省戦略・戦力開発担当副次官補)も中央日報のインタビューで「アジアが(米国安全保障戦略の)核心なので(欧州加盟国を)アジア国家に変える必要がある」とし「(欧州説得のために)必要な場合、カナダを外して韓国を加盟国に入れることも支持する」と話した」。
カナダは、「ファイブ・アイズ」メンバー(米・英・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド)である。第二次世界大戦後の極秘情報交換メンバー国だ。米英が、カナダを外すことを承認するはずがない。「兄弟分」の関係にあるからだ。こういう現実的な配慮もなく、カナダを外せという議論は余りにも粗野である。