日本の犯罪件数が少ないことは、世界的に有名である。確かに、凶悪事件は減少しているが、特殊詐欺事件でもネット詐欺が増えている。こういう生活に身近な事件の発生を防がなければならないが、国際的な水準から見た日本は、「無風地帯」である。日本の治安・安全費用の対GDP比は、1.22%(2022年 OECD調べ)。フランスは、同1.72%である。外紙が、日本の安全ぶりを報道している理由であろう。
『COURRIER Japon』(7月12日付)は、「ほとんど犯罪のない国、ニッポンの『のどかさ』の秘密を仏紙が探る」と題する記事を掲載した。著名紙『フィガロ』の翻訳である。
日本本で1年間に押収された大麻の量は、フランスの320分の1、強盗の件数は37分の1、窃盗は13分の1。これが日仏の犯罪に関する主要統計の差だ。両国は多くのテーマに関して何かと比較したがるが、この興味深いテーマに関する研究は、あまりにも少ない。
(1)「日本のマスコミが報じる軽犯罪の数々は、この国の“のどかさ”を物語っている。警察庁によれば、犯罪件数は2002年をピークに4分の1に減少した。こうした記録は、世界各国の内務大臣を羨望の念に駆り立てることだろう。たとえば、警察庁の最新の集計では、国内の殺人発生率はフランスの4分の1。人口10万人当たりの強盗の発生件数はフランスの44.3に対して日本は1.2。窃盗は、フランスが457.6、日本は35.2である」
日本の凶悪犯は、フランスと比べて極端に少ない。地理的条件の違いも大きいであろう。欧州は,国境が陸続きである。犯罪が、他国から持ち込まれるケースも多いはずだ。
(2)「犯罪学の第一人者である龍谷大学教授の浜井浩一は、こう話す。「日本は麻薬密売の抑制におおむね成功しています」。彼によると、人生で大麻を経験したことがある日本人は1%台であるのに対し、フランス人は32.1%、米国人は41.9%だ。2023年、フランスでは128トンの大麻が押収された。いっぽうの日本はと言うと、麻薬・覚醒剤乱用防止センターの数字を見ると、同年に押収された乾燥大麻は約800kg(過去最高)で、これは同等の人口に対して320倍も少ない計算になる」
2023年、フランスでは128トンの大麻が押収された。日本は約800kg(過去最高)である。これは、日本がヨーロッパと違い海で囲まれていることで、多くの「関所」があることで持ち込みを抑制している。
(3)「それだけではない。公共平和の証拠はいたるところにある。大都市の女性たちも、夜遅くに帰宅することに些かの不安も抱かない。子供たちは幼い頃から一人で出歩いている。こうした平和の象徴は、国内に何十万台もある飲み物の自動販売機だろう。毎日現金を貯める自動販売機は、まるで野放しにされた金庫のよう」
野外の自動販売機は、日本がいかに犯罪と無縁の國であるかを示している。
(4)「この社会的な平和については、「被告人の権利をほとんど顧みない警察と、刑事司法制度にあるのでは」と考えたくなる。街中の警察は非常に存在感があり、自転車やピカピカのパトカーで常に通りをパトロールしている。この秩序だった世界の裏側にある「正義」の正体については、カルロス・ゴーンの事例を通してその一部が世界中に明かされた。弁護士の立ち合いなしでの取り調べ、1つの罪状につき最大23日間の公判前拘束、99%を超える有罪率(註:刑事事件で起訴された場合)、そして何よりも「死刑(絞首刑)」がある」
日本は、犯罪に対して厳罰主義で臨んでいる。被疑者の人権は,ゼロ同然であるという。
(5)「しかし、「警察に対する恐怖」という説明は適当ではないだろう。一般市民と接するとき、警察は一般的に礼儀正しく、威圧的でもなければ、あまり干渉もしない。日本の司法制度で収監される人は少ないため、刑事施設の収容率も低い。フランスでは人口10万人あたり111人、米国では531人であるのに対し、日本では33人だ」
人口10万人あたり受刑者数は、日本が33人に対してフランス111人。米国531人だ。日本は圧倒的に少ない。
(6)「龍谷大学教授の浜井浩一は、この公共ののどかさは、日本社会独特のものだと見ている。「私は、この国を『家族人質社会』と呼んでいます。悪い行いをすれば、悪評が身近な人たちに降りかかるのです」。非行少年の親が、子供の勾留を避けさせようとするのではなく、むしろ勾留させて欲しい言うこともよくあることだ。死刑判決を受けた者の親が、恥じて自殺することも珍しくない。フランスでの留学経験を持つ広島大学教授で、刑事法学を研究する吉中信人は、近親者との同調傾向を指摘する。「フランスでは『我思う、ゆえに我あり』、日本では『彼思う、ゆえに我思う』です。フランスでは『ありがとう』と言う場面でも、日本では『ごめんなさい』と言うのです」
「我思う、ゆえに我あり」は、周知のようにデカルトの言葉だ。「すべての意識内容は疑いえても、意識そのもの、意識する自分の存在は疑うことができない」という、自己肯定である。日本は、「彼思う、ゆえに我思う」としている。他人の規範が自己を規制しているという意味であろう。自己肯定の真逆である。「ありがとう」は自らが発する言葉であり「ごめんなさい」は自己否定である。日本人の価値観は、欧米に比べてこれだけの差がある。これが、刑事事件発生率の差になっていると言うのだが。