流血の惨事が予想されていた「ワグネルの反乱」は、ベラルーシ大統領の仲介で収拾された。ワグネルはモスクワへの「行進」を中止して撤収する。プリゴジン氏は、ベラルーシへ行くというのが合意事項だ。今回の騒動は、大きな波紋を残した。プーチン大統領が、騒ぎを事前に解決できなかったこと。また、ワグネルに特別功労賞を贈りながら、一転した「逆賊」扱いにしてロシア国民へ説明できない事態となったこと。プリゴジン氏は、ウクライナ侵攻の不当性を訴えていたこともあり、プーチン氏の受けた打撃は計り知れない。
『BBC』(6月25日付)は、「『ワグネル』プリゴジン氏、 モスクワへの前進中止を発表 ベラルーシ大統領が仲介とロシア報道」と題する記事を掲載した。
プリゴジン氏はメッセージアプリ「テレグラム」で、「ロシア人の血が流れる(可能性の)責任を理解し、我々は隊列を方向転換させ、予定通り野営地に戻る」と書いた。
24日夜には、ロシア南西部ロストフ・ナ・ドヌにあるロシア軍の南部軍管区司令本部を、ワグネル戦闘員と共に出るプリゴジン氏の姿が確認された。
(1)「これに先立ち、プーチン大統領の報道官、ドミトリー・ペスコフ氏は午後9時(日本時間25日午前3時)ごろ、プリゴジン氏とワグネルへの刑事訴追は中止し、プリゴジン氏はベラルーシへ移動すると明らかにした。ロシア国防省と雇用契約を交わしたいワグネルの雇い兵は、引き続きそれは可能だとも述べた。さらにペスコフ報道官は、ワグネルのこの日の行動がウクライナでのロシアの軍事行動に影響するなど「ありえない」と強調した」
(2)「ロシア政府は24日未明には、プリゴジン氏が「武装蜂起」を呼びかけ内戦を開始しようとしたとして、刑事捜査に着手したと明らかにしていた。ロシア国営テレビ「ロシア24」によると、事態が一気に収束へ向かったのは、ベラルーシのルカシェンコ大統領がプリゴジン氏と電話で協議した後のことだという。ロシア24は、ルカシェンコ大統領の広報を引用する形で、「ロシア領内でワグネルの移動を中止するというルカシェンコの提案を、プリゴジンは受け入れた」と伝えた。さらに、「ワグネル戦闘員の安全保証と共に、受け入れ可能な事態沈静化の形を見つけることは可能だ」と判明したとも報道した」
今回の「ワグネル反乱」は、日本の「2・26事件」(1936年)に似たような面もある。この事件では、「首謀者」を除き寛大な処分になった。これが、後の太平洋戦争への火種になった。「ワグネル反乱」では、刑事訴追を中止するので誰も罰せられないのだ。一度は、大ナタを振るいながら、うやむやにする便宜的解決策になった。これが、ロシアの統制がぐらついていることを示している。ロシアが、国際法違反の傭兵部隊をウクライナ侵攻に用いたこと自体、プーチン氏の統率力の欠如を示している。
「2・26事件」では、ケジメをしっかりつけなかった。これがその後、青年将校の跋扈を許したのである。彼らは米国との開戦を迫り、東条首相の生命を脅かすまでに増長した。そういう日本の脆弱性と似ているのだ。